夜を照らす明るすぎる“人工の光”は、本当に必要なのか?
公開日:2016/9/7
本を読むことができるくらいの街灯や店の明かりというのは、日本の場合どんな場所へ行っても必ずある。夜を照らす人工の光の影響から逃れることは、現代に生きる私たちにとってほぼ不可能といっていい。それは「光害」と呼ばれ、いま世界の夜はどんどん明るくなっているという。そんな中で「本当の夜の闇」を追い求め、旅をしたのが『本当の夜をさがして―都市の明かりは私たちから何を奪ったのか』(上原直子:訳/白揚社)の著者、ポール・ボガード氏だ。
本書は「9、8、7」とカウントダウンしながら章が進む。これはアマチュア天文家ジョン・ボートル氏が考案した夜空の明度を段階的に表すための光害基準「ボートル・スケール」を意識したもので、都心部の空を表す「9」がもっとも明るい単位で数字が少なくなるにつれて暗くなり、「1」が光害が一切ない素晴らしい土地と規定される。ボガード氏はボートル・スケールを知ってから夜について学び始めたそうで、本書は徐々に暗い土地を探す旅へと進んでいく。
何の明かりも持たずに夜道を歩けるようになったのは、1667年にルイ14世がパリの街路にランタンを吊り下げるよう命じた(現代の街灯に比べればとても暗い)勅令にまで遡り、その後18世紀末までには北ヨーロッパの都市で公共の街灯が整備されたという。それまでは穴や溝にハマったり、段差に気づかず転んだり、海や川へ落ちたり、暗がりで襲われたりして怪我をしたり死んだりするなど、夜道を歩くことは危険な行為だったのだ。
そして暗い場所=犯罪に巻き込まれる危険性があると言われる。しかし本書では様々な観点から、照明のある場所だからといって必ずしも安全であるとは言い切れないとしている。例えば明るいところから急に暗い場所へ行くと目が慣れるまで時間がかかり、すぐに危険を察知できない。また明かりに目が眩むと、暗がりにいる人の姿を認識できない。そして犯罪者は闇に紛れるが、明かりがないと襲う相手を認識することができない。防犯には必要以上の明かりはいらないのだ。
またガソリンスタンドや駐車場、そしてコンビニエンスストアのような場所は、ここ20年でどんどん明るくなっているそうだ。それは人間が明るい場所が好きで、そこへ集まるからであり(暗い場所を移動しているときに明かりを見つけると希望を持つのと同じだ)、しかも人間は一度その明るさに慣れてしまうと、ちょっと暗いところは閉店してしまったと思ってしまうという。どこかが明るくなると、それよりも明るく……という繰り返しが、夜の闇に浮かぶ目に痛いほどの照明になってしまった理由だ。
このように様々な光が「光害」となるのは、手もとの明かりが欲しいと思っても、その光は別の場所まで明るく照らしてしまうように、必要以上に光が拡散してしまうことにある。それが地球のあちこちで起こっているのだ(拡散の少ない光を採用する場所も増えている)。そして夜が明るくなったことで夜更かしや夜勤をする人が増えたが、人工の光は人体に様々な影響を与える。例えば人間が暗い場所にいると分泌されるホルモン「メラトニン」は、がん細胞の成長を抑えるのに重要な働きをすることがわかってきたそうだが、夜の光(ろうそくや炎ではなく、電気の明かり)はこの生成を妨げ、抑制してしまうという。
便利になった反面、人類(そして世界中に住むすべての生き物)から様々なものを奪う夜の光。圧倒的に夜が明るくなって豊かさを享受した20世紀を経て、21世紀は夜の光の根本的な意味を捉え直す時であることを本書は教えてくれる。光のない場所では私たちの目は10分で暗闇に順応し、45分後にはさらにはっきりと見え、さらに2時間もすると夜空に焦点が合うようになるという。そんな長い時間、人工の光がない夜を過ごしたり、暗闇に完全に慣れた目で星空を見たりする現代人はそう多くない。しかし人工の明かりをすべて消すことができたら……美しい星々は、いつも私たちの頭上に輝いているのだ。
文=成田全(ナリタタモツ)