中年になっても大人になれない人たち…手遅れになる前に始める、知性ある大人としての生き方
公開日:2016/9/11
知性あるおとなになりたい人へおくる、“知的人間”の生き方を綴った『本物のおとな論~人生を豊かにする作法~』が2016年9月8日(木)に発売された。
“このごろ、大人が少なくなってきたのではないでしょうか”雑談をしていた仲間のひとりからこぼれたこの言葉に、著者は強い印象を受けたという。たしかにそういう気がする。なんのかんのと言うけれど、世の中、少しずつ良くなっている。教育も普及し、高等教育を受ける人がおびただしく増加した。しかし、めでたいことずくめのようでありながら、いつまでも一人前の人間にならない大きなこどもも増えている。
当り前だ。学校は、生活を停止して知識を教えるところであって、何年学校にいても生活経験は少しも増えないのだから。大人は生活経験によって磨き上げられるものだから、学校を出た人が生活に欠けるのはむしろ当然。いつまでもこども的で、大人になれない。
それに家庭が豊かになった。こどもが少なく、ひとりっ子が増える。子だくさんの家庭で、揉まれるようにして育つ子は早く大人になることができるが、“ハコ入りこども”として大事に育てられたのでは、そもそも、生活がないのだ。いつまでたっても大人になることが難しい。
かつては若いうちに大人になることができたが、今はそうはいかない。心ある人は中年になりかけるところで大人になろうとする。大人の年齢がそれだけ高くなったといえるが、長生きできるようになったのだから、大人の年齢が高くなっても心配することはないのかもしれない。
問題は、中年になっても大人になれない人たちが少なくないことだ。大きなこどものまま老年を迎えればどういうことになるか。一部ではそれが現実になっている。決してよい高齢者とは言えない。手おくれになる前に、大人になる努力をはじめなくてはならないが、多くがうっかりしているというのが現状だ。
「正直ではなく、白いウソをつくのが大人」「裁くのではなく、他人を応援するのが大人」「真似でなく、自分の頭で考えるのが大人」―知性あるおとなとしての生き方のヒントを、92歳の「知の巨人」がわたしたち日本人に教えてくれる。
外山滋比古
1923年生まれ。評論家、エッセイスト。東京文理科大学卒。『英語青年』編集を経て、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授などを歴任。専門の英文学のみならず、思考、日本語論などさまざまな分野で創造的な仕事を続け、その存在は、「知の巨人」と称される。著書に、『思考の整理学』『知的生活習慣』、『乱読のセレンディピティ』、『50代から始める知的生活術』などがある。
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