トラウマで苦しむのはなぜ? その回復プロセスと支援を童話『赤ずきん』から理解する

暮らし

公開日:2016/9/23

『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本』(白川 美也子/アスクヒューマンケア)

 例えば、ホラー映画や怖い話の話題で、思わず「あれ、トラウマだわ」と軽い気持ちで口にすることがある。しかし、本当に「トラウマ」を理解している人は、じつはそう多くないのでは、と思う。

 辞書によれば、トラウマとは「精神的外傷。大きな精神的ショックや恐怖によって起きる心の傷」ということになるが、これだけではイメージしづらい。しかし、子ども虐待やドメスティック・バイオレンスなどの事件がたびたび取り沙汰される昨今。『赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本』(白川 美也子/アスクヒューマンケア)によれば、トラウマの受傷は生きていれば誰にでも起こりうること。本書は、トラウマがどういうもので、どう対処すればよいのかを、童話『赤ずきん』の主人公「赤ずきん」をモデルに、物語形式でわかりやすく説明している。

 なぜ「赤ずきん」なのか。本書によると、『赤ずきん』の原型である民間伝承ではオオカミと駆け引きをする存在だったが、17世紀にフランスのペローによってオオカミに食べられて終わる教訓話に、19世紀にはドイツのグリムによって、私たちがよく知る猟師に救われる救済物語に変移。近年では、女性の弱さを体現した赤ずきんが、性被害を受けた女性の対象と見なされることもあるという。加害者はもちろん男性としてのオオカミだ。

advertisement

 本書は、トラウマ体験を肉の重さで説明している。誰かから300グラムの肉をもらったら、その日のうちに料理して消化できる。しかし、30キログラムの肉を押し付けられたら、その日のうちには消化できない。すべてを消化するためにはいったん冷凍して、日をかけて少しずつ解凍・消化を繰り返さなければならない。トラウマ記憶は、何十年経っても、被害者の中では鮮明であり続けるのだ。

 最終的には猟師に救われたものの、オオカミに食べられてトラウマを抱えた赤ずきんは、その後、どう過ごしたのか。そんな体験を経て、役に立つ面もある。恐らく、赤ずきんはその後、不用意に森の奥に踏み込まないだろう。不審者がいたら、オオカミが化けているのではないかとよく確かめるかもしれない。身の安全性が高まる。また、赤ずきんがフラッシュバックを起こしたり、過去の話を周囲の人に何度も語ったりすることで、周囲への啓発になる。

 しかしながら、トラウマはそれ以上に赤ずきんを苦しめる。犬が大口を開けてあくびをしているだけなのに「オオカミに食べられる!」と恐怖に身を固くしてしまうかもしれない。森を見るだけでも怖くなる可能性がある。どんな人を見ても「オオカミかもしれない」と不安で家から出られなくなる恐れだってある。

 冷凍されたトラウマ記憶は、少しずつ解凍され、消化が進んでいくが、記憶の解凍は安全が確保されて初めて起こる。安心して食事ができるときに、ふと噴き出してくるのだ。心の準備は関係ない。心の傷が癒えたように見える赤ずきんは、まだまだ大量の肉を冷凍庫に残している。被害者本人も周囲の人間も、「行きつ戻りつしながらも、全体的によくなっている」と捉えつつ、長い目で回復を待たなければならないという。

 トラウマの引き金に混乱して急な反応を起こしそうになったり、恐怖や不安に圧倒されたりしそうなときは、「自分が一番安全で安心と感じる場所を思い浮かべる」「好きな色を思い浮かべる」などの対処法が紹介されている。本書の赤ずきんは、その後、ときどきはトラウマに身を圧倒されそうになるが、そんなときは金色に輝く卵型のオーラが自分の周囲をとりまいているのをイメージすることで、「私は自分で自分を守れる」「自分の行動を自分で選べる」という自信を湧き立たせ、人生を楽しんでいるという。

文=ルートつつみ