3.11の被災と故郷の喪失、幼い頃からの強烈な自己否定感、うつ病、そして無職に……。“しんさい”をきっかけに溢れ出た、己の「膿み」に向き合う男の人生再起エッセイ
更新日:2020/9/1
2011年3月11日、東北を襲った未曾有の災害、「東日本大震災」。あれから5年の月日が流れたが、当時の光景はいまだに忘れることができない。ぼく自身、東北出身だったため、家族や友人の安否確認に奔走し、生まれ育った故郷の変わり果てた様子を目にするたび、胸が痛んだことを覚えている。
そして、あの震災を機に、人生が大きく変わったという人も少なくない。知人はボランティア団体を立ち上げ、いまもなお復興活動に力を入れている。東北のために駆けまわっている姿には、頭が下がる思いだ。その一方で、被災地を離れていった人たちもいる。もちろん彼らには彼らの考えがあり、それを責めることなんてできない。むしろ、愛着のある土地を離れるという選択をするには、相当な葛藤や苦しみがあったに違いないだろう。
繰り返すが、あの震災は、人の生き方をも変えてしまうできごとだったのだ。9月17日に発売された『しんさいニート』(イースト・プレス)の著者、カトーコーキさんも、震災によって人生がガラッと変わってしまった人物。本書では、その一部始終を赤裸々に描いている。
当時、カトーさんは、福島県南相馬市で陶器屋を営んでいた。田んぼに囲まれたのどかな場所での生活は裕福ではないものの、それなりにうまくいっていたという。しかし、3月11日、カトーさんの日々は一変する。地震、津波、そして福島第一原発事故……。信じられないような事態に陥るなか、カトーさんは生き残ることができたことに感謝し、そして生き抜くために福島からの移住を決意するのだ。
本書の前半では、震災当時の混乱ぶりや、移住にあたっての苦労が描かれる。しかし、本当の地獄はそこからだった。カトーさんにとっての地獄、それは自身のアイデンティティを失ってしまったこと。移住先の北海道では常に“被災者”として扱われ、居場所が見つけられない。かといって、故郷に戻ることもできない。どこにも行き場がないなか、カトーさんは少しずつ精神を苛まれていく。
そして、そういった体験をするにつれよみがえってきたのが、過去のトラウマ。厳格な父親から受けてきた箱詰め教育のせいで、いつしかカトーさんは、常に良い子でいなければいけないという強迫観念にとらわれるようになっていたのだ。それは大人になっても変わらない。周囲の顔色を窺い、本心を出さず、裏切られることに怯える毎日。“震災ショック”により、そんな負の側面が顕著になってしまったカトーさんは、やがて“うつ”を発症してしまう……。
本書は、震災を体験し身も心もボロボロになってしまった一人の男が、自らの経験を綴ることにより、過去と向き合い、立ち直っていくさまを描いた一冊である。そこには想像もつかないような壮絶なドラマがある。震災によって負ってしまった心の傷。そして剥がれてしまったカサブタ。それを癒やすのは、誰でもない自分自身。
正直な話、震災の記憶が薄れかけている人は少なくないだろう。メディアの報道では、東北は順調に復興し、活気を取り戻しているようにも見える。けれど、人の心が癒えるには相当な時間がかかる。そして、それは決して目に見えるものではない。カトーさんが自身の体験をまとめた本書。これを読めば、“壊れてしまったもの”を修復するには、人知れぬ苦労があることがわかるはずだ。
文=五十嵐 大