人間は死んだらどうなるのか? 僧侶が極楽往生する為に取った驚きの行動とは

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公開日:2016/10/16

『死を巡る知の旅』(野村朋弘/幻冬舎)

 人は死んだ後、どうなるのか――多くの人が一度は考えた事があるであろうこの問いの答えは、残念ながら生きている間にはわからない。わからないからこそ、様々な推測がなされている。人間の主な死後観はといえば、死んだらそこで終わりであり、死後の世界も存在しない、地獄、極楽などの死後の世界へ行く、生まれ変わってまたこの世界に生まれる、目には見えないだけで、この世界のどこかに居る……など、大方この4つに分類できるだろう。こういった死後観は、我々の祖先達が考えだして来た価値観に拠っている。祖先達は、どのようにして死を考えてきのか――それを綴ったのが『死を巡る知の旅』(野村朋弘/幻冬舎)である。

 人間は、死後どうなるのか……それを考える時、地獄・極楽の存在は避けて通れない。ところで、こういったいわゆる死後の世界の概念はいつ生まれたのだろうか? そもそも、古代の日本では、黄泉の国という概念はあるものの、死後に罰や責め苦を受けるといった考え方は存在していなかった。それは、古事記・日本書紀などからもうかがい知る事ができる。では、地獄・極楽とは何なのかというと、これらは元々仏教の考え方である。地獄の概念が仏教と共に日本に輸入されたのは飛鳥から奈良時代にかけてであり、同時に極楽――つまり地獄に行かなくて済む方法も広まった。平安時代に書かれた書物の中には、来世の幸福を叶える為、つまり極楽への往生を遂げる為に、現代の感覚では信じられない事をやってのけた人も居た事が記されている。そのうちの1つが、薩摩国(現在の鹿児島県)のある僧侶の話である。この僧侶は、山に籠って修行を続け、功徳を積んでいた。しかし、山を下りて世間に晒されてしまえば、きっと今まで続けて来た修行をやめてしまうに違いないと考え、それでは極楽往生はできないと結論付けた結果この僧侶は……何と、我が身を火に投じたのだ。自分の身を焼く事が、三宝(仏と法と僧)の供養になると考えたのだという。事実、仏教における苦行のひとつに焼身供養というものがある。この僧はこれを実行し、無事極楽浄土への往生を果たしたという事だ。しかし、焼身供養と言えば聞こえは良いかもしれないが、現代の言葉に置き換えるなら、この僧侶の行動は焼身自殺と言う他ない。だが、来世や死後の世界を本当に心の底から信じている人間にとっては、焼身自殺も焼身供養として成立するし、死後も「あの人は無事極楽往生できた」とされ、むしろ尊ばれる事になる。現代ではそうはいかない。自殺自体社会的に認められてはいないし、死後観を持ちだしても自殺をした人間は死後自分を殺した罪によって地獄に堕ちるとされている。そもそも現代において「極楽往生したいから」という理由だけで自害する人はそうそう居ないだろう。それは、たとえ来世での幸福を信じて自害したとしても、もしもその来世がなかったのなら、死に損以外の何物でもないからである。現代を生きる我々にとっては、その“もしも”こそが“常識”となりつつあるのだ。死後の世界があるとして、その行き先が地獄か極楽かは生前の行いによって決まるのは昔からの価値観である。しかし、その生前の行いの何を以て良しとするかは時代によって大きく違うという事だ。

 仮に死後の世界があるとするならば、自分の行く先がどちらなのかは誰もが気になるところだろう。今や悪人は地獄に行き、善人は極楽に行くというのが常識となっている。そして、殆どの人は「どうせ行くなら極楽に行きたい」と言うだろう。古代から現代に至るまで、我々の死後観は多様に変化してきた。中でも、仏教の伝来は、今に続く死後観のある要素を作り上げた地盤になったとも言える。その要素とは、死後の行き先は生前の行いによって決定されるという概念である。自分の死後は地獄か極楽か……それは誰もが気になるところであろうが、そういう時は今までの己の行いを思い返してみてはいかがだろうか。例えば、今まで自分に故意の悪行はなかったか、またはそれに匹敵するような大きな過失はあったか否か。また、どれだけの“良い事”をしてきたか……などである。自分の行きそうな死後の世界は、何よりも自分自身がよく知っていると言えるかもしれない。

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文=柚兎