何でこんな男にハマっちゃったの? 『源氏物語』が林真理子の新解釈でよみがえる!
更新日:2017/11/13
『源氏物語』が記録に現れてから千年を迎えた2008年、林真理子が同作を独特の視点と語りで再構成した新作を世に送り出した。「顔も知らない相手になぜ夢中になれたのか」「どうしてレイプまがいのことが許されたのか」「コトに及ぶ時に女房たちが側にいても平気だったのか…」。そんな、きっと多くの読者が考えながら踏み込まずにきた疑問に、著者はとことん向き合って原文解釈を試みている。そして生まれた作品が、今回『六条御息所 源氏がたり 上・下(小学館文庫)』(林真理子/小学館)として文庫化された。
女友だちのように語りかけてくる六条御息所
十七歳の青年の激しさは、それまで静かに生きてきた私を魂ごと揺さぶり、砕いていくかのようでした。
本作の語り手に、著者は六条御息所を選んだ。彼女は、深い教養と気品、才気が世に知られた美しい貴婦人。帝となるはずだった夫に先立たれ、風雅の道を支えに、ただ穏やかに生きようとしていた。しかし、ある夜をきっかけに苦悩に堕ちていく。光源氏への恋心に狂い、他の女たちへの嫉妬心を募らせて生霊となって彷徨うことになるのだ。物語は、死後も成仏できない彼女の魂によって語られていく。
しかし、作中で彼女が口にするのは、怨念めいた未練や恨みつらみではない。ろくに会話もないと聞いていた正妻・葵の上の懐妊に対しては、「ということは、そういうご関係があったということで、あの方が日頃口にしていたことはまやかしだったのではありませんか」と、もう何だか道ならぬ恋をした女友だちの話を聞いているような気持ちになる。
それでも、踏みとどまらなかった過去の自分が口惜しいからこそ、彼女は空蝉にこう言うのだ。「私はこの女のまっとうさを、とても好ましく思います」と。空蝉は、分不相応な夢を見せてくれるなと光源氏を拒み通した、中流身分の人妻だった。
光源氏が照らし出す「女たちの物語」
「甘く愛らしいもの言いの裏に、したたかなところがある嫌な女」。夕顔をそう表現するように、人物のキャラクター付けが効いているせいだろうか。読み進めるうち、身分や年齢、容姿の異なる多様な女たちの個性が、際立って見えてくる。時に壮絶で、時に胸を突く女たちの生きざまを、本作はたっぷりと見せてくれた。
新しい視点で人物像がとらえ直されているのが、第1話に登場する光源氏の母・桐壺の更衣だ。本作での彼女は、従来の「さほどの身分でもないのに帝から特別に愛されてしまったせいで、女御たちにいじめ殺された可哀想な薄命の女性」ではない。「没落した一族の再興を果たすため、帝の寵愛を受ける意志を持って、ひとり入内した女性」として描かれている。弱々しい桐壺の更衣が一転、凛とした雰囲気をたたえて立ち現われる、魅力的な冒頭だ。
女たちに注目すると、後半は一層面白い。若い光源氏にとって純粋に性愛の対象だった女性は、年を重ねるうち政治の駒へと変化する。光源氏が政治的にも栄華を極めていく傍らで、女たちも変わっていった。たとえば、あどけない幼子だった紫の上は美しく育ち、光源氏の正妻格としての品格を備えるが、やがて人知れず胸の内に闇を抱えていくのだ。
もはや可愛らしく嫉妬をすることなく、発しなかった言葉を、ひとつひとつひとり胸の中に枯葉のように溜め込んでいく女に、もうじき紫の上さまも変化していくはずです。
あの方にとって、このうえなく満ち足りた夜、紫の上さまは何かを失っていったのです。
千年以上も前に書かれた物語に、著者が抱いたような素朴な疑問を誰もが持たずにはいられない。私にとっての謎は「あんな女たらしのどこがいいわけ?」という恥ずかしいほど単純なものだったが、下巻を開く頃には自然と納得ができていた。
文化・社会的背景の違いが壁になり読者が挫折しやすい「雨夜の品定め」を「さらっと流す」など、著者のセンスで必要十分なストーリーが選び出された『六条御息所 源氏がたり』。一方で、愛情と嫌悪、嫉妬と肯定、渇望と諦め……といった登場人物の心理を豊かに描写し、『源氏物語』の魅力をストレートに伝えてくれる。あなたの疑問の答えも、本作の中になら、見つけられるかもしれない。
文=ウシジマユキコ