「牛乳配達や新聞配達までして頑張ってきた」発言は”職業差別”なのか? 差別語、不快語、ヘイトスピーチの違いって?
公開日:2016/10/21
今年6月3日にはヘイトスピーチ対策法が施行。つい最近は、電車内での車掌のアナウンスや、寿司店での店員の行為が「外国人への差別ではないか」と議論に。化粧品会社のテレビCMにも女性差別との声が上がり、放送が打ち切られた。
このような差別にまつわる問題は、意図的に行われるものがある一方で、発信した側に「差別の意図はなかった」「認識が不足していた」というケースも多い。それは、「何が差別なのか」「どんな言葉が差別語なのか」という認識が、時代を経るごとに刻々と変化しているからだろう。
『最新 差別語・不快語』(小林健治:著、上村英明、内海愛子:監修/にんげん出版)は、そんな差別語の現状にフォーカスを当てた一冊。差別問題として扱われた言葉・表現の事例を多く挙げながら、「なぜそれが差別表現なのか?」「では、どういい換えたらいいのか?」「こういう言葉を使ってよいのか?」といった疑問に、丁寧に答えている。
興味深いのは、タイトルにあるように「差別語」と「不快語」を区別していること。不快語というのは、例を挙げると「デブ」「チビ」「ハゲ」「カッペ」「ブタ」「バカ」などの言葉だ。
これらの言葉は不快なものではあっても、「社会的差別という要素が欠けている」というのが差別語との違いだという。目の前の個人を嘲ったり不快にさせたりする言葉ではあっても、社会的に排除するような効力は比較的弱い……というわけだ。
一方で、人種差別、女性差別、性的マイノリティへの差別、部落差別などに関する言葉は、相手を不快にさせるだけでは留まらない。その人達を社会的に排除・抑圧・軽蔑し、ときには基本的人権や市民的権利を侵害することもあるのだ。たとえば「女・子供の出る幕ではない」といった言葉などはその一例と言えるだろう。
なお、「ヘイトスピーチ」と差別表現一般との違いは「攻撃性と暴力性、目的意識性」。ヘイトスピーチとは「目的意識をもってマイノリティへの憎悪と排除、殺人をも扇動する犯罪行為」と本書では解説されている。やはり、単純な不快語や悪態、侮蔑表現とは区別されるべきものなのだ。
差別問題やヘイトスピーチに関する議論が白熱し、汚い言葉が飛び交うようになると、差別をしたと批判された側が「そっちこそ差別じゃないか!」と怒り出し、見ている人達も「どっちもどっち」と呆れて終わる……ということがよくある。しかし本書で「差別とは何か」「差別語とは何か」という理解を深めておけば、そのような問題もより深い視点から見れるようになるだろう。
ほかにも本書には、「昔の映画や文学作品に含まれる差別表現にどう対処すべきか」「『子供の頃に牛乳配達や新聞配達までして頑張ってきた』という表現は職業差別にあたるのか」「『ガラケー』が『フィーチャーフォン』と言い換えられたのはなぜか」といった問題や、差別に関わる事例が豊富に紹介されている。
読んでいるあいだは「え、これまで差別になっちゃうの?」と疑問に思うこともあり、「何も考えずに普段言ってるかも……」と肝を冷やすこともあった。
本書を読む上で大切なのは、「何が差別語にあたるのか」を暗記することや、一律の線引を設けて機械的に差別か否か判断することではない。一つ一つの事例を自分に引き寄せて、自分の頭で考えていくことだろう。
文=古澤誠一郎