戦争、圧政、貧困…その現場には常に娼婦たちがいた―。娼婦たちの姿から見えるグローバリゼーションの裏側

社会

公開日:2016/10/25

『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』(八木澤高明/KADOKAWA)

 ここ日本では、一般的に売春や風俗は社会秩序を乱すものとして人々から蔑視されている。確かに、暴力団と関係していたり、非合法的なシステムで営業を続けていたりする店舗は多い。しかし、だからといって「性の匂い」が消えた社会は健全だと言い切れるのだろうか?

娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』(八木澤高明/KADOKAWA)は著者の八木澤高明氏がアジアの国々の性風俗業や、風習について取材してまわった記録である。そう聞けば、多くの人が「社会が乱れれば娼婦も多くなる」というテーマの本だと思ってしまうのではないだろうか。もちろん社会にはそういった面もあるにせよ、ここに書かれているのは差別の眼差しを向けられている人々の側から見えてくる、世界のあり方についての疑問符なのだ。

 八木澤氏が本書で取材をしてきた対象は、ほとんどが僻地や危険地域で仕事をしている娼婦たちである。たとえば、占領下のイラクでは現地の女性たちが米兵相手に体を売っている。韓国でも同様に、米軍基地村で洋公主と呼ばれる娼婦たちが存在している。こうした女性たちは現地人から差別され、社会的には下層に位置している。しかし、八木澤氏はイラクや韓国の社会事情を知るためだけに彼女たちに接近するのではない。八木澤氏が見つめているのは、外国の娼婦たちの姿を通して見えてくる世界共通の歴史なのである。

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 日本もまた第二次世界大戦後、米軍による占領を経験している。そして、戦争によって働き手である夫や父親を失い、路頭に迷った女性たちが焼け野原となった街で米軍相手に体を売った。「パンパン」と呼ばれた日本の娼婦たちと、イラクや韓国の娼婦たちは境遇が非常に似通っている。

娼婦たちから戦場を見ると言う試みは、知らず知らずのうちに七十年前の日本を見るのと同じだということにも気がついた。それと同時に、戦場という非日常空間で生きる娼婦たちの存在から、古今東西を問わず、私は人間社会に通底するものを見ることになった。

「売春は世界最古の職業」と呼ばれる。どんな社会であっても、男たちの性欲は消えることがない。それならば、娼婦たちの姿こそ世界共通の人間性を浮かび上がらせるのではないか。そう考える八木澤氏は、先進国からは残酷に思える風習を目撃したときにも否定をしきれない。

 いくつか例を挙げれば、八木澤氏は中国で纏足という風習を目撃する。女性の足の指をきつく布で縛り、成長を止めてしまうこの風習は、男性による女性支配の象徴とされている。また、ネパールではデウキと呼ばれる女性たちも取材する。幼い頃に寺へと売られ、そのまま男たちの慰み者として人生を送るデウキは、今でも続いている風習である。

 八木澤氏の文章からは、女性たちの人生を台無しにする男たちへの怒りが時折漂ってはいるものの、基本的には淡々と事実をレポートしていくに留めている。その理由が分かる箇所として、ネパールで取材した幼児婚について、八木澤氏はこう書いているのだ。

私は敢えて、傍観すべきだと思うのだ。(中略)私はこの土地に根付き、生き続けてきたものを否定も肯定もしない。必要とされる限り、その風習は続いていき、必要とされなくなれば自然と消えていく。ただ強引に戻そうとすると、軋轢を生む。

 そして、アジアの僻地との比較対象のように、「色街」の概念が消えた9.11後のニューヨークのレポートが最後に記されている。摘発と自粛の流れにより街頭から姿を消した娼婦たちは、主に出会い系など、インターネットで客をとるようになっていた。そして、日本でもこうした流れになっていくのではないかと、八木澤氏は懸念する。9.11後、戦争に突き進んだアメリカと、現在の日本の街並みの類似。そして、アジアの娼婦たちが生きる街並みとの対比。そう、本書は性を通してグローバリゼーションの是非について読者に考える機会を与えているのである。

文=石塚就一