「バルス!」のシーンは、無かったかもしれない?! 『天空の城ラピュタ』誕生の物語

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更新日:2022/8/12

『もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代』(木原浩勝/講談社)

 2016年、劇場公開から30周年を迎えた『天空の城ラピュタ』は、テレビでの放送回数も多く名作の誉れ高い。ところが、歴代邦画興行収入ランキングの1~3位を宮崎駿作品が占めているのにもかかわらず、当時は100位圏内にすら入っていない。すでに『風の谷のナウシカ』で宮崎監督はアニメファンから高い評価を得ていたものの、一般的な認知度はまだ高くなかったのだ。それが、今ではテレビ放送の際にネット上で、パズーとシータとともに「バルス!」と呟く「バルス祭り」なる現象まで起こり、今年のテレビ放送時には1分間に34万件を超える「バルス!」がツイートされた。

 そんな社会現象にまでなったラスト近くの「バルス」のシーンに、「もう一つ」の案があったことが、『もう一つの「バルス」 -宮崎駿と『天空の城ラピュタ』の時代』(木原浩勝/講談社)には記されている。

 本書の肝は、『天空の城ラピュタ』の制作当時に制作進行として宮崎駿監督の間近で働いていた著者が、公式の設定資料や絵コンテ集などにも載っていない案を見聞きしたり、2人の間で交わされたりした会話であろう。

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 スタジオジブリ第一回作品である本作の制作中に、宮崎監督は口癖のように「この作品は失敗できないんですよ」と言っていたという。制作期間が約10ヶ月という厳しいスケジュールだったこともあり、通常では脚本を経て映画の設計図とも云える絵コンテを概ねラストシーンまで描き上げてから作画に取り掛かるところを、宮崎監督は前半ができたところで見切り発車のように制作していったそうだ。それはつまり、まだ「バルス」のシーンをどう描くかは決まっていなかったということだ。

 本書によれば宮崎監督は、ことあるごとに著者をつかまえては、「これどう思いますか?」と声をかけて絵コンテやラフ画を見せ質問してきたりしたそうで、答えるのに時間がかかると「もういいです」と言われ、説明が長くなると「分かっていない」と不機嫌になるため、応対するのが難しかったとある。逆に著者から宮崎監督に声をかけ、ラピュタ島自体について「やっぱり飛行石の親玉みたいなので浮いているんですか?」と質問したら、少しムッとして仕事に戻ったという。本書で語られる宮崎監督はどこか『千と千尋の神隠し』に出てくる神様のように愛らしい面を持っており、それでいて掴みどころがない。

 絵コンテに「あと1時間くれ~」と宮崎監督が落書きをし、最終的には124分04秒22コマとなった本編からは、幾つもの構想やシーンが省かれたという。その中には、虫のように羽根を羽ばたかせて飛ぶフラップターの発明者のことも含まれており、著者が見せられた絵コンテでは、若き日の女海賊ドーラの肖像画に男性もいて「ドーラの愛人」と書いてあったそうだ。宮崎監督は採用しないと決めている構想も一度は自分の手で描いて、人に見せることで自分を納得させようとしていたのではないかと著者は推測しており、まさに本書に記されているのは貴重な証言ばかりである。

 そうそう、肝心の「もう一つのバルス」であるが、ネットではトルコ語で「平和」を意味するという説もあるものの、本書によれば準備稿には「とじよ」と書かれていたそうである。そして、「シータ一人がムスカと対峙」する設定だった。それが、実際に描かれたようにパズーとシータが手を飛行石に重ねて唱える決定稿の前に、さらに「もう一つのバルス」のシーンが考えられていたことは、ぜひ本書で確かめてもらいたい。私も本書で語られていたことを思い出しながら、本編の方を観直そうと思う。DVDを買い、Blu-rayも揃えたのに、テレビで放送されるとつい観てしまう本編を。

文=清水銀嶺