頼るのは夜と性の世界。昭和30年代、日本最大の在日朝鮮人密集地・猪飼野の少年たちが見た闇とは?
公開日:2016/10/28
映画『ALWAYS 三丁目の夕日』は昭和33年(1958年)の東京・下町を舞台にした作品だ。登場人物たちに一喜一憂あれども、高度成長期という時代背景もあり、作品全体には“より良き未来”という希望の光が差し込んでいる。
一方、同じ昭和33年でも、その舞台を日本最大の在日コリアンタウンである猪飼野(いかいの:現在の大阪市生野区周辺)に転じれば、見え隠れする情景は一変する。そこを覆うのは、いつ消え去るとも知れないほの暗い“暗雲”。そのことをリアルに伝えてくれるのが、ノンフィクション『完全版 猪飼野少年愚連隊 奴らが哭くまえに(講談社+α文庫)』(黄 民基/講談社)だ。
猪飼野の長屋に生まれ育った著者・ルポライターの黄 民基(ファン・ミンギ)氏は、昭和33年当時、小学4年生(10歳)だった。そして登下校や放課後の時間、休みの日を共有する数名の少年グループに属した。
本書は、そんな少年たちがそれぞれに体験する猪飼野での小学生時代を軸に、関わり合う兄・姉貴世代(10代後半から20代)と親世代の生きざまに加え、この地区の住民たちが在日コリアンとして生きる上で対峙した、様々な葛藤や障害などを描きとったドキュメンタリーである。
“暗雲”のひとつは、日本国籍のない人にはまともな就労環境がないことである。本書によれば、当時の少年たちの親の職業分布は「無職」が75%、「単純労働」4%、「古物・鉄くず販売」2%で、その他の職業はすべて1%台だという。
かくして親世代が生活に困窮すれば、その余波は下の世代へと向かう。進学や就職の道が閉ざされた兄・姉貴世代の多くが向かう先は、国籍や履歴書に頼らず実力次第で稼ぐことができる、夜・性の世界であり、裏・闇社会である。こうして当時、一大勢力となったのが、在日コリアンによる愚連隊「明友会」だ。
本書の特徴のひとつとして、昭和30年代以降、どのようにやくざ・暴力団と呼ばれるアウトロー社会が大阪地区において展開されていったのか、その系譜がたどれることがあげられる。少年グループが住む長屋のあちこちに、「明友会」に属す兄貴分が暮らしており、少年たちはちょっと背伸びした遊びを教えてもらうこともあった。しかし「明友会」は昭和35年、山口組系組織との壮絶な勢力争いに敗れて壊滅。
少年グループが慕った兄貴分のひとりは、自分たちの目の前で斬殺される。しかもそのヒットマンとなった山口組系組織メンバーも同郷人たちだったのだ。
また本書には、当時の小学生たちが夢中になった文化(めんこ、ベーゴマ、紙芝居屋、相撲、野球など)も様々に登場する。しかし、子どもらしさを感じさせてくれるのはほんの一瞬だ。
子どもながらに暴力で自衛することを迫られた当時の状況や、肉体労働や詐欺ほか、あらゆる手段を使って金をつくろうとする彼らなりのサバイバル術、また出自をめぐり自らのアイデンティティを求めて混迷する姿など、本書の多くの描写は、彼らがいかにアブノーマルな少年時代を過ごしたかを彷彿(ほうふつ)とさせるのである。
そんな少年グループには6名ほどの中心メンバーがいた。本書では、彼らのその後についても記している。中でも「ヒウォン」という少年は、アウトローの死に目が大きなショックとなり、中学以降は在日コリアンでも資格が取れる「医者」を目標とし、現在、内科医となっているそうだ。
この「ヒウォン」に関する後日談を得て、ようやく本書に一筋の“希望の光”が差し込むのを感じるのは、おそらく筆者だけではないだろう。
文=町田光