日本のテレビ報道は権力を監視できているのか? ニュースキャスター・金平茂紀氏の思いとは?
更新日:2016/11/14
10月19日、沖縄の東村高江で進められているアメリカ軍のオスプレイ・ヘリパッド建設に抗議する沖縄県民に向かい、大阪府警から派遣されてきた機動隊員が「どこつかんどんじゃボケ! この土人が」と発言したことが報道された。
人口わずか140人あまりの集落は、今では全国から警察が集まる場所になっている。これまでも抗議者を警察関係者が強引に排除する様子はごくたまにニュースになっていたが、肝心の地元の声は、ほとんど取り上げられてこなかった。
一体住民は、ヘリパッド建設に対してどう思っているのか。そう思っていた矢先の10月22日、TBS系列の『報道特集』で、高江のすべての家をまわって住民の声を聞いた特集が放送された。
現地に足を運んで取材していたのは、同番組キャスターの金平茂紀さんだ。金平さんは日本でテレビ放送が始まった1953年に生まれ、40年にわたって報道記者としてニュース番組に携わってきた。そんな金平さんの著書『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)が発売されたので、お話を伺った。
番組ごとの報道姿勢の違いは、あってしかるべき
この本は朝日新聞出版の雑誌『Journalism』の連載をまとめたもので、ウィキリークスによる米軍機密映像の公開から東日本大震災、金正日総書記の死去といった国内外のニュースから、島田紳助氏の引退報道や『美味しんぼ』騒動などの「お騒がせニュース」までを取り上げ、検証している。何が書く動機になったのか。それは「メディアへの憂慮」なのだと語った。
「連載は2010年から始まっていますが、この頃から日本のメディアがどんどん内向きになっていくのを痛感していました。だってアメリカ兵がイラク人をヘリから攻撃したのをウィキリークスが暴露したのに、当時日本国内ではほとんど報道されませんでしたから。最近ではどこのニュースでも、築地市場移転問題と東京オリンピックばかりですよね? このように世界で起こっていることを報道せず、日本の一部で起こっていることばかりを報道する姿勢への憂慮がずっとあったので、それを記録したいと思ったんです」
冒頭ではTBSの報道番組『ニュース23』の筑紫哲也氏の記憶に触れ、ラストでは『ニュースコープ』の田英夫氏の言葉を紹介している。2人はともに金平さんの先輩キャスターだが、とくに筑紫哲也氏の「視野の広さや目配りの深さ、ニュースを決まりごとにしない姿勢」には、大いに影響を受けたそうだ。しかしその筑紫氏が専属契約を結んでいたTBSであっても、昼の情報番組に安倍首相との会食を重ねる某通信社の特別解説委員を呼び、連日のように政権に阿(おもね)ったコメントを流している。同じ局でも、番組によって姿勢が違うのはなぜか。そう問うと金平さんは「一色に染まってしまったらそれこそ、大本営発表のようになってしまう。番組ごとの報道姿勢の違いは、あってしかるべき」と答えた。
「たとえば『土人』発言についても『沖縄がテーマでは視聴率は取れないから、放送する必要はない』と考える人もいれば、『これは重大な社会問題だから、トップで扱うべき』と考える人もいて、判断は現場にかかっています。何を見るかは視聴者が選択すればいいことで、逆に選択の余地がない報道は、報道とは言えないと思います。ただ僕の場合は自分の好きなことだけをしているわけでは決してありませんが、『違うだろ!』と思うことに対してはそう言い続けたいし、他とは違う取材をしたい。そういう気持ちで取材しています」
民主主義とは多数決ではなく、少数派を尊重すること
とはいえ金平さんは、筑紫哲也氏が生前遺した「テレビというメディアがジャーナリズムの一端に位置しているのならば、その果たすべき重要な役割のひとつはウォッチドッグ=『権力を監視する番犬』でなければならない」という言葉を引用し、今や権力のかわいい愛玩犬になってしまったメディアを厳しく批判している。また「これがジャーナリズムなのか」と首をかしげたくなるマスコミ関係者の言動についても、朝日新聞社の記者会見を例に取り上げている。
2014年9月、朝日新聞社はかつての慰安婦問題をめぐる「吉田証言」と、福島第一原発事故時における「吉田調書」の、2つの「吉田」についての誤報を認め、記者会見を開いた。同書にはテレビや新聞、web媒体の記者がその場で放った質問がほぼ全文掲載されているが、「メディア、終わったな」という気にさせられてしまうほど、寒いものばかりだった。しかし金平さんは「メディアは終わった」とシニカルになることに対しても、否定意識を持っているそうだ。
「たしかにテレビの状況は、今やお寒いものになってしまいました。長らく作り手が『どうせお前らにはわからない』と視聴者を見下してきた結果、視聴者も『なぜちゃんとした番組を作らないのか』と、相互不信状態に陥ってしまった。それはひとえにメディアのムラ社会意識が招いたことだと思いますが、それでもまだ希望は残されています。ドキュメンタリー番組の中には見る価値の高いものがありますし、地方局や地方紙の中には、地域に根差した報道を続けているところもありますから。だから『終わったな』とシニカルになるのはある種の逃げで、お寒い状況はむしろ『他山の石』として、自身を見つめる鏡になると思うんです。
それに大多数と意見が合わないからといって、投げやりになることはない。だって少数派をないがしろにして、多数派の意見で物事が決まっていくことを圧政といいますから。民主主義は本来、多数決で物事が決まるものではなく、少数派を尊重する社会のことをいいます。しかしそこをわかっていない人も多いと思うので、マスメディアに関わっている人だけではなく、マスメディアをやはり憂慮している視聴者にもぜひこの本を読んでもらいたい。『報道がおかしい、テレビがおかしい』と感じているのは自分だけではないことに気づけると思うし、気づくことで共感が広がり、同じ思いの人と繋がっていくと僕は信じていますから」
取材・文=今井順梨