最愛の妻をテロリストに奪われた夫が彼らに宛てた言葉―。パリ同時多発テロ後、フェイスブックで20万回以上共有された「手紙」の真意
公開日:2016/11/14
2015年11月13日、ジハーディストのグループが起こしたパリ同時多発テロによって130名以上もの罪なき一般人の命が奪われた。フランスは混乱に陥り、SNS上にはテロリストへの憎悪や敵意をむきだしにした言葉があふれ返った。事件から3日後、そんな状況下でテロリストに向けた文章がフェイスブックに投稿され、わずか3日間で世界中から20万回以上の共有がなされた。投稿者はアントワーヌ・レリス。パリに住むジャーナリストで、妻エレーヌはテロの犠牲者だった。
テロ直後からの2週間を綴ったアントワーヌの著作が『ぼくは君たちを憎まないことにした』(土居佳代子:訳/ポプラ社)である。そのタイトルは彼が「手紙」と呼ぶ例の投稿と同じだ。アントワーヌが「手紙」と本書を通して訴えたことは、深い悲しみの中にあっても憎しみは何も生まないというメッセージだった。
本書はテロの起こった夜から始まる。アントワーヌが知人からの留守電と報道で事態に気づき、妻の安否を心配する描写が悲痛だ。つながらない電話をかけ続け、パリ中を探し回った挙句、ついに妻の姉から悲報を知らされる。
最愛の妻を失い、誰とも話をしたくなくなるほどの悲しみがアントワーヌを襲う。しかし、彼には幼い息子メルヴィルがいた。悲嘆にくれる暇もなくメルヴィルを保育園に送り、エレーヌに代わって家事をこなす毎日が始まる。
そして、妻の遺体との面会。遺体安置所では誰もが同情の声をかけてくるが、アントワーヌの心には響かない。逆に、妻がテロで殺された大勢の中の一人として扱われることに強い違和感を抱く。妻との幸福な日々を回想しながら、ついにそのときはやって来る。
目の前にいるエレーヌはいつものように美しかった。
アントワーヌが「手紙」を投稿したのは安置所から帰宅してすぐのことだった。
アントワーヌの文章には深い悲しみと妻への愛がにじむ。特に妻と過ごした時間を綴るとき、その筆致は詩的で美しく読者の胸に迫る。彼が妻を心の底から愛していたことが伝わってくる。だからこそ、周囲の人々は彼の態度が信じられない。テロへの憎しみを露にしない彼が事件を忘れたり許したりしていないかと怪しむ。しかし、彼の態度の理由は「手紙」の中で既に宣言されている。
君たちはぼくが恐怖を抱き、他人を疑いの目で見、安全のために自由を犠牲にすることを望んでいる。でも、君たちの負けだ。ぼくたちは今までどおりの暮らしを続ける。
テロの目的は殺戮だけにあるのではない。人々がパニックに陥り、憎悪に飲み込まれることでテロは勝利するのだ。だからアントワーヌはテロリストを憎まないことに決め、ささやかな日常を取り戻そうと努める。それでも悲しみは消えず、堕落してしまったほうが楽に生きられるかもしれないという誘惑にもかられる。しかし、幼いメルヴィルの存在がアントワーヌを留まらせてくれた。「手紙」の最後はこう締めくくられている。
メルヴィルはまだやっと十七か月。いつもと同じようにおやつを食べ、いつもと同じように遊ぶ。この幼い子供が、幸福に、自由に暮らすことで、君たちは恥じ入るだろう。君たちはあの子の憎しみも手に入れることはできないのだから。
アントワーヌが選んだのは、ある意味で最も険しい道だ。理不尽な悲劇が起こったとき、誰かを憎んで戦ったほうが悲しみを紛らわすことができる。事実、テロの直後からフランス全土ではイスラム圏に対する憎悪が膨れ上がっている。テロとはなんの関係もないイスラム教徒までが尋問や軟禁の対象となり、差別の標的となった。
しかし、アントワーヌはエレーヌの命を奪った人間ではなく、エレーヌ自身のことを思って残りの人生を過ごそうと決意する。息子をお風呂に入れるとき、爪を切ってやるとき、彼はそこにいたはずの妻を思い出さずにはいられない。そう、彼もまた戦っているのだ。大切な人の死という現実と。そして、「手紙」は彼がくじけないよう自分自身に言い聞かせた言葉でもあったのではないか。
悲しみと向き合いながらも日常を守り通そうとするアントワーヌの毎日は、テロに関する報道が見過ごしがちな個人の姿である。そして憎しみ以上に大切なことを人々に気づかせてくれるのだ。
文=石塚就一