「学歴社会」と「受験戦争」が日本の教育をダメにする? 日本の「公教育」における問題とは?
公開日:2016/11/24
進学塾に通う公立学校の子どもに取材をすると、「学校の先生は『どうせ塾で教えてもらうんだから』と授業でしっかり教えてくれない。まぁ、塾のほうが分かりやすいし、いいんだけど」という話を聞くことがしばしばある。保護者だけでなく、教育関係者の間でも、「もっと公教育に頑張ってもらわなければ」という声は少なくない。
『公教育をイチから考えよう』(リヒテルズ直子、苫野一徳:著/日本評論社)の著者の一人で、オランダの教育をよく知るリヒテルズ直子氏によると、日本の公教育における問題の大もとは、直接的には学歴社会と受験戦争にあり、それを具現化するための入試制度を支える学校教育の「教科書中心主義」だと指摘している。
氏によると、「教科書中心主義」の問題点は6つある。
(1)教科書の内容だけが「正しい」ものであると考えられる
…学力テストや入学試験などは「教科書に書かれているかどうか」が基準につくられているため。教科書以外の知識や情報を軽視、偏見をもつ傾向が生まれている。
(2)同年齢集団の平均的な発達を前提としてつくられている
…子どもには得意・不得意があり、教科によっても進度は異なるのが普通。多くの子どもたちの発達段階に合わない。
(3)学者の見解が優先
…教科書には、実際に現場で教えている教師たちの知見や経験はあまり活かされていない。
(4)「学習」は紙面上の知識をもとに行われるものだという思い込みが生まれてしまう
…人間は本来、自然や社会の生きた現実に触れることから学び始めるもの。
(5)「検定」という縛り
…教科書会社が自由闊達な発想で教科書をつくることができなくなっている。
(6)費用の問題
…日本の教科書は、オランダの教科書に比べて活字が必要以上に大きく、内容が乏しい。デジタル教材との組み合わせもなく、子どもがどんどん深く学べる仕組みがない。
本書はこのような問題点から、「教科書中心主義」的な教育では子どもの個別のニーズに合わせて教えることが困難であり、公教育以外の教育機会にアクセスすることが難しい貧困層の子どもたちの力が引き出されていないのを憂いている。
また、日本の教育は「最小限の投資による効率化」ばかりを狙う国の施策によって、すっかり「粗末」となり硬直化してしまった結果、公的な縛りを受けない塾産業や教育産業を助長させているとしている。貧困家庭の子どもがアクセスできる公教育が「次世代の子どもの教育を担う」という使命感と責任感をもってこそ、すべての子どもの将来が開かれる。
日本はもっと公教育に投資をし、教員を「管理」するのではなく裁量権を与え自分の実践に自律的に責任感を持てるような体制をつくることが、国のよりよい将来をつくるのに不可欠だと提言している。
文=ルートつつみ