ワルいヤツは現代も江戸時代も大差なし!? 実は現代と驚くほど近かった江戸時代の犯罪事情

社会

公開日:2016/11/29

『古文書に見る江戸犯罪考』(氏家幹人/祥伝社)

 大阪で我が子を殺して遺棄した親が逮捕され、ニュースやワイドショーで話題となっている。実にイヤな話だが、現代にはこのような事件が非常に多いのも事実。他にも通り魔殺人や大規模詐欺グループなど、気がつけばそんな報道に接している日常だ。こうなると今の世相を反映した現代特有の現象のようにも思えるが、実は似たような犯罪が多かった時代が他にもあった。『古文書に見る江戸犯罪考』(氏家幹人/祥伝社)によれば、現代の犯罪事情は江戸時代に驚くほど似ているという。

 例えば「子殺し」では、金沢藩の『断獄典例』という古文書の判例には「養育費付きで赤ちゃんを貰ったのち、乳が出ないからと捨ててしまった夫婦」や「夫が先妻との間にもうけた男の子を、夫の留守中、膝の下に押さえつけ、焼火箸を両足や腰に押し当てて殺した妻」の例などが挙げられている。確かに子供の命を金銭としか見ていなかったり、継母の憎悪が引き起こしたりした犯行は、現代でもよくお目にかかるものだ。ちなみに上記の例では、犯罪者はすべて死罪となっている。現代感覚でいえば厳しすぎると感じる向きもあるかもしれないが、「十両以上の金、または十両以上に相当する品物を盗んだ場合は死罪」であった江戸時代なら、当然の措置だったのだろう。

 通り魔殺人に関しても、現代と似たような感覚が見られる。石塚豊芥子が著した『街談文々集要』は、江戸で13人が槍で突かれ、うち6人が絶命した通り魔殺人のことを記載。動機は「槍の稽古を繰り返しているうちに、生きている人間を突いてみたくなり、こらえきれずに凶行を繰り返した」のだという。さらに芝の辺りから日本橋石町の間で通行人が無差別に殺傷された事件では、犯人の真柄新五郎はその動機を「愛宕山で所願成就を祈願していたところ『汝、今夜より千人切りを行なうべし。しからば願いは叶うであろう』というお告げがあった」ためだと語っている。このような宗教的理由による犯行は、1995年にオウム真理教が引き起こした『地下鉄サリン事件』を彷彿とさせる。

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 集団で犯罪に及ぶケースも、やはり古今を問わない。海保青陵が残した『東贐(あずまのはなむけ)』という書物では、江戸の犯罪事情が詳しく述べられている。その中で「アラカセギ」という犯罪集団に言及。「数人の悪者が通行人に突き当たって口論をふっかけ、懐中の物や櫛、笄を強奪する」という。そして奪った金品を仲間に渡し、追及を逃れるという手法を用いている。現代でいえばスリが財布を仲間に受け渡したり、「振り込め詐欺」の現金を受け取る「受け子」や電話をかけて騙す「架け子」のような分業体制が確立していたりすることがうかがえよう。

 ただ、やはり現代と江戸時代は違う。そのことを感じられる事件、というか判決がある。それは幕府の『御仕置例類集』に記されたもので、幼い娘を殺した父親の評定が行なわれ、その判決が「中追放」だったというもの。「中追放」とは江戸十里四方の立ち入りを禁じられる刑で、先の「子殺し」の例と比較すると全然軽い。なぜ刑罰に差があるのか、その理由は犯行動機にあった。被告人は妻に家を去られてしまい、妻を殺して自分も死のうと思ったが、目の不自由な老父に娘を残してはいずれ困窮すると考えたのだ。だから自分の父親のために我が娘を手にかけたのである。江戸時代は儒教が主流であり、親に対する孝徳を尊しとした。ゆえに親孝行の発露から娘を殺めた被告人は、通常より軽い罰で済んだのだ。現代ではなかなか理解しにくい部分ではあるが、宗教的な背景を理解していないと真の歴史は見えてこないともいえる。

 冷静に考えてみれば、人の姿形が変わらないのであれば、その思考の根本もそう大きく変わらないのではないか。人の心の闇に根ざした「犯罪」という行為に共通点が見られるのは、その証左であるかもしれない。「歴史に学ぶ」とはよく聞く言葉だが、こと犯罪に至っては「歴史は繰り返す」のほうが正しそうである。

文=木谷誠