アメリカの大学アメフト部員が起こしたレイプ事件―。なぜ加害者が守られ被害者が攻撃されなければいけなかったのか?

社会

公開日:2016/12/5

『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー:著、菅野楽章:訳/亜紀書房)

 ノンフィクション界の巨匠、ジョン・クラカワーの最新作『ミズーラ 名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』(ジョン・クラカワー:著、菅野楽章:訳/亜紀書房)。レイプを題材とした本書は決して後味のいい一冊ではなく、著者が序文で書いているように「読み進めるのがつらい部分」もある。それでも、ここで書かれている問題はアメリカの田舎町だけの事件ではなく、世界中、ここ日本ですらも起こりうる現実なのだ。

 2011年の調査によればアメリカ人女性の約5人に1人が一生のうち、レイプ被害に遭うのだという。しかし、その被害者の多くが警察に報告せず、報告しても捜査や訴追が行われないまま事件が無かったことにされてしまう。なぜこんな非道がまかり通っているのか。クラカワーは妻と一緒に可愛がっていた年下の女性がレイプ被害に遭った過去を持つことを知り、アメリカで起こったレイプ事件の数々を調べるようになった。その過程で、彼はモンタナ州ミズーラの大学アメフト部「グリズリーズ」が関わったレイプ事件を取材し始める。

 取材をもとに、本書で主に描かれるのは2010年9月にグリズリーズのアメフト選手、ボー・ドナルドソンが幼なじみのアリソン・ヒュゲットをレイプしたとされる事件と、2012年2月に同じくグリズリーズのジョーダン・ジョンソンが友人のセシリア・ウォッシュバーンをレイプしたとされる事件である。

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 いずれの事件でも共通しているのは、検察側が弁護側との司法取引に応じて公判に持ち込むことを避けようとする傾向、そして根も葉もない誹謗中傷に晒されたレイプ被害者の苦難だ。レイプ事件は有罪判決を勝ち取る確率が低いため、多くの検察官が裁判を嫌う。モンタナ州では検察官が被害者の嘆願を無視して司法取引を行うことが可能なため、レイプ犯が全く罪に見合わない量刑しか科せられないケースも頻繁に起こる。また、強豪であるグリズリーズは経済効果も莫大で地元ファンも多い。被害者とはいえグリズリーズを敵に回すことは地元を敵に回すことと同義だった。被害女性たちは友人や近隣住民からもセカンドレイプと呼ぶべき屈辱を味わう。

 ドナルドソンは罪を認めたため、陪審員無しの量刑裁判が行われた。しかし、「性行為は合意のうえだった」と主張するジョンソンは公判によって無罪を証明しようとした。信じられないことだが、弁護チームとして公判中にウォッシュバーンや証人の人格攻撃を積極的に行い、陪審員を味方につけようとしたのは、もともと事件の検察官を担当していた女性だった。クラカワーの法廷描写は精密で、それゆえに被害者とその家族の苦しみが伝わり、心が痛む。レイプ事件を立証するため、被害者は法廷で謂れなき攻撃を受けなければならない。そこまでしても被告が無罪放免になる可能性はあるのだ。

 クラカワーはレイプ事件に関して大学、警察、そして特に検事局のあり方を批判する。何らかの理由でレイプ事件をでっちあげる女性がいるのは事実でも、そのために全ての被害者の証言が警察や検事局から疑われてしまうのはあまりにも理不尽だ。また、レイプ犯は明らかな不審者だけではなく、ドナルドソンたちのように評判のいい人物が変貌してしまう可能性についても言及される。実際、全米で起こるレイプの80パーセント以上は被害者の顔見知りによる犯行だ。判決審査の査問でヒュゲットは発言する。

子どものころ、路地で見知らぬ人や不審者には近づくなとか、……どこかに行くときは信頼できる人と一緒に行けと教えられました。でも信頼していた人にレイプされたらどうなるんですか?……もうこんな地獄に住むのは嫌です

 一生をかけてトラウマと戦う被害者に対し、レイプ犯は自分たちの行動が犯罪とすら気づかずに過ごしていることもあるという。そして多くの野放しになったレイプ犯は被害者が悩み、事件を秘密にしたいと考えることに甘え、別人相手に同じ罪を繰り返す。クラカワーと本書に登場する女性たちは勇気ある行動で、そんな不条理にはっきりと“NO”を叩きつけているのである。

文=石塚就一