「私は男でも女でもある」「私は男でも女でもない」…男女の概念にとらわれないXジェンダーとは?
公開日:2016/12/9
例えば「私は男でも女でもある」または「私は男でも女でもない」と言う人が居たら、あなたはどう思うだろうか? そんな人が居るのかと疑問に思うかもしれない。が、こういった認識を持つ人は現実に居る。その人達はXジェンダーと呼ばれ、中性・両性・無性・不定性・その他の5つのタイプに分かれる。中性は男と女の中間にある性自認を持つ者、両性は男女両方の性自認を持つ者、無性は男女どちらの性自認も持たない者、不定性はある2つの性別間を行き来する流動性のある性自認を持つ者、その他はこれらいずれにも当てはまらない者(男性・女性・無性の3つの性自認を持つ、性別という概念が全くなく性自認自体を認識する事が不可能など)である。ちなみに、性自認とは自分がどの性別であるかという自己認識の事で、これが体の性と異なっている場合トランスジェンダーと呼ばれる(尚、多くは性自認と体の性は一致しており、その場合はシスジェンダーと呼称する)。
さて、Xジェンダーのタイプを簡単に説明してきたが、既存の男女の概念にとらわれないこれをきちんと解説しようと思えば、とても簡単には済ませられない。それほど複雑なのだ。そんなXジェンダーについて纏めたのが『Xジェンダーって何? 日本における多様な性のあり方』(Label X:編著/緑風出版)である。
既存の男女の概念にとらわれないと聞いて「では性指向はどうなるの?」という疑問も湧くかもしれない。Xジェンダーの性指向……つまりどの性別に恋愛感情を抱くかという事は、これも個人差が非常に大きい。が、本書で述べられている限りではシスジェンダー男女が恋愛対象になる場合が僅差で多く、多少割合は下がるが自分同様のXジェンダー当事者に向く場合もあるとの事だ。尚、Xジェンダーの性指向がいわゆる性同一性障害の人に向く場合は、シスジェンダー男女に向く場合と比較しても半分以下とかなり少ない。体の性と心の性が一致していないという面で、むしろ共感を得やすい関係に思われるかもしれないが、性同一性障害当事者の場合、性別に違和感を抱えながらもやはり「世界には男と女しかいない」という男女二元論的思考を持つ人が多く、その為既存の男女の概念にとらわれないXジェンダーとはすれ違う事が多いのだ。中には性同一性障害当事者から「いつまでもXジェンダーなどと言って性自認をうやむやにせず、はっきりどちらかに決めなさい」などと叱責や強要をされたXジェンダー当事者も少なくない。こういった事がある為か、Xジェンダーの性指向は性別違和に最も縁のないシスジェンダー男女に向くか、さもなくば、共感を得やすい同じXジェンダー当事者に向く場合が多いようである。
最後に、Xジェンダーの日常の課題について、少し述べておこう。まず、Xジェンダーの一人称についてである。これは“私”が最も多く、次いで“自分”が多かった。私的な場になると“僕”・“俺”なども比較的多く見られる。意外に思われるかもしれないがMtX(体は男性・性自認はXジェンダー)は私的な場でも“私”を使い、FtX(体は女性・性自認はXジェンダー)は私的な場では“僕”など男性的な一人称を使う人が多くなる。これは私的な場において“私”という一人称を使うと、どうしても女性的な印象があるからかもしれない。次に、Xジェンダーの服装についてだが、多くのXジェンダー当事者はユニセックス(中性的)な服装を多く着用する。次いで男性の私服・女性の私服と続く。男性の私服がユニセックスに次いで多い理由は、まずFtXが女性性をアピールするような服装を嫌い、男性性に近い格好を選ぶ場合がある事、またMtXが女装趣味者と誤解されるのを防ぐ為あえて女性の服装を避ける事などが考えられる。また無論の事だが、見た目の違和感のなさを優先し体の性と一致したファッションを着用する当事者も居る。つまり、これもまた人それぞれという事である。
この場では便宜上Xジェンダー当事者などと簡単に言ってきたが“このような人がXジェンダーである”と明確に定義する事は難しい。そもそもXジェンダーとは既存の男女の定義に当てはまらない性自認を持つ人々を指す言葉なのだから、端から定義の外にある存在なのである。多様性の大切さが叫ばれるようになって久しく、またそれについて考える機会も増えた。Xジェンダーもまた、性別の多様性について思考するきっかけを社会に与えてくれる存在であろう。
文=柚兎