朴槿恵大統領退陣要求デモは、なぜあんなに盛り上がったのか? 80年代の韓国民主化闘争を描いたマンガに学ぶ【前編】
公開日:2016/12/22
2016年12月9日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領への弾劾訴追案が可決された。今後は憲法裁判所によって、審判が下されることになる。
「国政に友人のおばさんを介入させた」ことへの怒りから、「朴槿恵は退陣しろ!」と書いたプラカードを掲げた人たちがソウル市内を埋め尽くしたデモは、日本でも連日のように報道された。その様子を見て「韓国のデモってアツい」と思った人も多いのではないだろうか。と同時に、「国民がデモ慣れしている」と感じた人もいたことだろう。しかし彼らがデモに集まるのは、それが趣味だからでは多分ない。怒りの声をあげることで国政を動かした体験が過去にあり、「人が動けば時代が変わる」ことを信じているからだ(と思う)。
その「体験」を描いたのが、韓国のマンガ家チェ・ギュソクの『沸点 ソウル・オン・ザ・ストリート』(加藤直樹:訳/ころから)だ。
スーパージュニアのイェソンが出演したドラマ『錐』の原作者でもあるチェ・ギュソクは、もともとマンガ好きから高い評価は得ていたものの、『錐』でメジャー作家になった。
『沸点』は1987年に起こった、市民の大規模デモによって成された民主化への動きを、元反共少年で民主化闘争に青春をかけるクォン・ヨンホを通して描いている。当時の韓国は全斗煥(チョン・ドファン)による独裁が続いていて、政権を批判した者は「アカ(共産主義者)」扱いされ、時には凄惨な拷問で命を落としていた。当時10歳だったチェ・ギュソクはなぜ民主化闘争を描き、なぜこのタイミングで日本語版が出版されたのか。翻訳にあたった加藤直樹さん(『九月、東京の路上で』の著者)に話を聞いた。
■こんなに泣いたことがないほど泣いた
「2007年頃から、ちょくちょく韓国に行っては翻訳できそうなマンガを探していたんです。いい作品があれば日本に紹介したいなと。というのも友人のマンガ家がある時『韓国にはいいマンガ作品なんかないよ』と言ったので、ならば見つけてみようと思ったんです(笑)。
でも実際書店に行ってみると、確かに7割が日本マンガの翻訳で2割が日本風の韓国マンガでした。彼の言う通りかもしれないと思って眺めていたら、まさにインディーズ系と呼ぶにふさわしい独創的な作品群が、全体の1割程度ですが、書店の一角に並んでいました。それを見て『韓国のマンガが面白くないのではなく、こちらの視野の狭さのせいで面白いマンガの存在に気づけてなかっただけだ』と分かったんです。だからその後もしばらくマンガ探しを続けていたのですが、2009年にソウルで知り合った10代の子が、『これ面白いよ』と、『沸点』の原作を教えてくれたんです。確かに面白くて、帰りの機内で一気読みしてしまいました」
加藤さんは常々「韓国の民主化闘争の歴史は、もっと日本で知られるべきだ」と思っていたことから、『沸点』を翻訳したいと出版社2社と編集者1名に持ち込んだものの、良い返事は返ってこなかった。しかし数年後の日本で市民によるデモが起こったりSEALDsが登場したりする様を見て、「今なら出せるかもしれない」と思い、2015年秋に出版社「ころから」に持ち込んだ。代表の木瀬貴吉さんはそれまで韓国の民主化闘争にはさほど興味がなかったものの、仮訳を読んで「感動してこんなに泣いたことがないと思うぐらい、ぼろぼろ泣いてしまった」そうだ。
■吹き出しに収めるには、文字が多すぎた
かくして出版化は決まったものの、「制作に半年以上かかってしまった」と加藤さんは明かす。その理由は「技術的な問題」で、「マンガの翻訳がこんなに大変だとは思わなかった」からだ。
「手書きの仮訳はつけていたのですが、フキダシに活字として収めるには文字数が多すぎたんです(苦笑)。だから何度も何度も修正したのですが、いわゆる『字切り(改行)』が本当に大変で」
マンガを手に取ってもらえば分かると思うが、どんな作品であれセリフは読みやすいところで改行されている。たとえば「りんごジュースが飲みたい」というセリフがあるとしたら、
「りんごジュー」
「スが飲みたい」
には絶対にならない。しかし字切り位置を最優先にして文字合わせにこだわると、セリフの面白さがなくなってしまう。そして韓国語をただ日本語にするだけではなく、意訳も必要になってくる。それこそ何度直したか分からないほど直したと、加藤さんは振り返る。
「僕の韓国語ではあぶなっかしい部分も多くて、一橋大学准教授のクォン・ヨンソクさんに監訳してもらいました。一番難しかったのは訛りですね。たとえば刑事が自宅に電話をかける場面(87ページ)がありますが、原文で読んでいるときは台詞の意味が分からなかった。それでクォンさんに見てもらったら、慶尚道訛りで『子どもは寝たか』と言っているのだと。あと仮訳の段階では、ついおじさんの感覚で「オルグ」なんて言葉も使ってたんですが、今の若者には通じないですよね(笑)。なので、20歳の子が読んで分かる表現に直しました」
取材・文=碓氷連太郎