嫌だけど避けられない相手は、したたかに利用する!ヒントは華僑の処世バイブル「中国古典」にあり

ビジネス

公開日:2017/1/27


 人の悩みも幸せも、その大半は人間関係に起結すると言われます。だからこそ何よりも「人間に向き合う」ことが重要だと考え、「人間を知る」ことを極め、幸せなお金持ちになっているのが華僑です。そんな華僑に学んだ対人術の極意を役立てていただきたいと筆をとりました。人間関係といっても幅広いですが、多くの人が嫌でも避けられないのは「職場の人間関係」でしょう。そこで今回は、職場の困った面々として「横暴な上司」「アピールがウザい同僚」「言い訳ばかりする部下」を取り上げ、彼らを避けるのではなく、自分のために活かす華僑流の対処法をお伝えします。

 本題に入る前にまず、なぜ私が華僑について語るのか、その背景をざっと説明します。私自身は日本に生まれ日本及びアジアでビジネスをする日本人です。大学卒業後、サラリーマンとなりましたが「社長になってベンツに乗る」という夢をかなえるために、在日華僑のボスと言われる大物華僑に弟子入りをしてお金儲けや処世術を学び、起業しました。その後、若い華僑のパートナーと一緒に医療機器メーカーを立ち上げ、現在では国内外6社のオーナーとなっています。

華僑社会では「ずるい=賢い」が当たり前

 そんな少し変わった経歴をたどる中で、華僑(中国を離れて他国で長期的にビジネスをする人)の社会に入り込み、その独特の思考に触れてきたわけですが、華僑の成功の秘訣をひとつだけ挙げるならば「ずるい=賢い」という日本人とは異なる常識を見逃すわけにはいきません。華僑がビジネス&処世のバイブルとしている中国古典にもこんな言葉があります。

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無用の朴は君子貴ばず。機械変詐(きかいへんさ)を事とせずと雖も、徳慧術知(とくけいじゅつち)に至りては、またなかるべからず(呻吟語)

 意訳すると「素朴なだけの人を君子は評価しない。悪巧みはよくないとしても、駆け引きは身につけておいたほうがよい」。機械変詐(きかいへんさ)とは人を騙したり陥れたりする策略で、これは華僑社会でもむやみに使うべきではないとされます。徳慧術知(とくけいじゅつち)は生きるための才智とでもいうべきもの。華僑社会では、立派な人格を備えつつ駆け引きに長けた人が、徳慧術知の「ずるい=賢い」人として評価されるのです。このあたりに、異国の地にあって不利な条件のもとでもビジネスを成功させ、お金持ちになる華僑の強さがあるといえます。

 駆け引きを知ることは人間の心理を知ることとイコールですので、人間関係におけるトラブル防止に役立つことはお分かりいただけるかと思います。嫌いな人や厄介な人がいても先回りして対策すればストレスにもなりません。それどころか、自分のために役立ってもらうことさえ可能になります。その方法も華僑は、古代からの先人の経験と智恵が詰まった「中国古典」から学んでいるのです。

 では「横暴な上司」「アピールがウザい同僚」「言い訳ばかりする部下」への対処法を、中国古典と華僑の教えを交えて見ていきましょう。

「横暴な上司」=「暴君」は、実は対策しやすく操りやすい相手

 まずは「横暴な上司」、古典的に表現すれば「暴君」です。暴君といってもさまざまですが、「自分勝手」「下の者に対して不公平」「正論が通用しない」このあたりは概ね共通するところでしょう。『荀子』に「我に諂諛(てんゆ)する者は我が賊なり」という言葉があります。自分に媚びへつらう人は害を為す賊である、との意。媚びへつらう人は耳に心地よいことしか言わず、情報を偏らせて判断を誤らせる賊だという意見はもっともです。にもかかわらず、何でもハイハイと自分の言いなりになる部下を重用して、まともな意見を封じるような上司は決して利口とはいえません。

 そこで「ずるい=賢い」華僑は、こういった上司は「利口でないからこそ簡単に操れる、チョロい相手だ」と考えます。また荀子も「暴君に仕えることは、調教されていない馬を御すようなものであり、赤子を養うようなものであり」と述べています。さらに「だから暴君が恐れていることに因って過失を改めさせ、心配していることに因って旧習を変えさせ、喜ぶことに因って拠り所を正し、怒っていることに因って仇敵を除く、そうすれば部下の思うままにすることができるだろう」と。

 要するに、自己コントロールができない暴君は感情や要求が表に出やすい、心の内がわかりやすく対策しやすい相手だということです。ですから暴君をよく観察して、諌言するのではなく暴君の得になるようにフォローしてやればいいのです。そのようにすれば媚びへつらうだけの腰巾着にはなり下がらずとも側近として重用され、陰で暴君を操ることも可能にななります。多くの人が暴君に対して、敬遠して距離を置くか、腰巾着になるかの二択しかもたない中、「上手く操る」という第三の選択があると知るだけでも心が軽くなるのではないでしょうか。

「アピールがうざい同僚」は、矢面に立ってくれる有り難い存在

 どこの職場にも一人や二人はいる「自分はできる」アピールをする人。多少耳障りでもアピールしたい人にはさせておけばいいですが、「アイツよりも自分のほうが」と他人を下げて自分を大きく見せようとする人は甚だ迷惑ですね。その場合は、下げようとするのに乗じて自らの「失敗」アピールをするのがオススメです。自分は過去にこんな失敗をした、こんなことができずに悩んだ、など。わざわざマイナス面をアピールするなんてと思うかもしれませんが、それを聞くほうにとっては失敗しないため(損しないため)の貴重な情報となります。過去には失敗したとしても、それを乗り越えて成長してきたわけですから、未熟な部下を任せても安心だと、上からの評価も自然に得られます。ですから「(私のことは)下げてもらって大いに結構」「(あなたのことを)どんどん宣伝してください」という心持ちで接すればいいのです。

 華僑に言わせれば「そもそも自己アピールは損」。というのは目立てば足を引っ張られるからです。『荘子』にこんな言葉があります。「進んで敢えて前とならず、退きて敢えて後ろとならず」。人を抜かして一番になれば足を引っ張られるし、ビリはビリで批判の対象になる。だから二番手、三番手がちょうどいい。そこで華僑は「私は、私は」とアピールする人を、矢面に立ってくれる有り難い存在だと考え「どうぞどうぞ」と先を譲るのです。

「言い訳ばかりする部下」には、事情の説明で情報共有させる

 部下をもつ人であれば、部下のしくじりの言い訳を聞く場面が必ずあると思います。多少の言い訳はよしとしても、自分を正当化しようと延々言い訳するような部下は困ったものです。つい「わかった、もういいよ」と途中で遮ったにもかかわらず、また同じことを繰り返し話している……。そんな状況であるならば、先回りして「事情の説明」を求めましょう。「何か事情があるんだろう? 事情を説明してくれたらそれでいいんだから、言い訳をする必要はないんだよ」と。事情の説明=事実に基づいた経緯の説明ですから、自分を正当化するための虚言を混ぜにくい、それが言い訳との違いです。

 言い訳については『易経』に「口を尚(たっと)べば乃(すなわ)ち窮するなり」という言葉があります。言い訳すればするほど窮地に陥るという意味ですが、なぜ窮地に陥るのかといえば、相手を納得させようと、あることないことごちゃまぜにしがちだからです。つじつまが合わない話も出てくるでしょうし、言い訳を重ねるうちに焦って自分の弱点まで知らせてしまうことだってあり得ます。そこで華僑は「言い訳をするとアナタが一番困るんだから」と諭して「事情の説明」を求めるわけです。

 自分が何かしくじった場合には簡潔に事情の説明をするべきですが、部下がしくじった場合には、事情を聞きつつ「なるほどそれで?」と掘り下げてたくさん喋らせるのがベターです。途中で遮ったり叱ったりしてはいけません。共有事項が増えるほど警戒心が薄らいでいく、というのはご理解いただけるでしょう。言い訳をする必要も隠し事をする必要もなくなるので部下としても楽になり、きちんと事実を報告するようになります。もちろん上司も楽になり、部下に適切なアドバイスを与えることもできます。自分のためにも部下のためにもなる駆け引き、ぜひ試してみてください。

文=citrus 起業家 大城太