子どもを叱れない親、部下を注意できない上司、その人は本当にやさしいのか?
更新日:2017/1/31
ほめる子育てが流行り、パワハラが問題視される現代社会において、叱ること、厳しく接することはタブー視されている。誰でもほめられれば嬉しいし、厳しいことを言われなければ傷つくこともない。とても幸福なことのように思えるが、対人関係に悩み、不安を抱えている人は増加傾向にあるという。
『「やさしさ」過剰社会 人を傷つけてはいけないのか』(榎本博明/PHP研究所)は、人を傷つけまいとする過剰なやさしさが人間関係に重苦しい閉塞感をもたらしていると指摘し、本当のやさしさとは一体どのようなものか、友達、親子、恋人、上司部下などの関係や時代背景、日本と海外の文化の違いなどやさまざまな側面から分析している。
現代の社会においてのやさしさ
本書の中で著者は現代社会において求められているやさしさは、人を傷つけないやさしさであると述べ、それが本当のやさしさなのかを問うエピソードを紹介している。
大学で指導にあたる著者のもとに、今の学生は非常に傷つきやすいので、厳しいコメントをすると落ち込んだり、傷ついたと訴えたりしてくる恐れがあるから批判は避けて、まずほめるべき点を極力ほめてから、こうしたらよくなるとやさしく伝えるようにという通達がきたという。著者は自身の経験から指摘されることで腹を立てたり、落ち込んだりする気持ちに理解を示しながらも、相手を傷つけることや反発されることを恐れて直すべき点をはっきり指摘しないことが本当に相手のためになることなのか、指導者という立場で疑問視している。
本当のやさしさとは自他への厳しさと寛容さを伴うもの
人を傷つけないやさしさが蔓延することで、偽りのやさしさに騙されてしまうことを著者は危惧し、嫌われたくないから厳しいことを言わない、好かれたいからほめるという行為は、自分がどう思われているかを気にする人の保身や、自分の利益のために相手をコントロールしようとする人の戦略であると分析している。
本当のやさしさとは相手のためを思う気持ちが基本にあり、安易に見返りを求めない。本当にやさしい人は相手から反発を受けても裏切られたと思わず、同じようにあり続ける寛容さを持ち、その言葉は時に厳しく耳に痛いが、傷ついたり、不満を感じたりしても後々になってありがたいと思えてくるものだと述べている。
最後に著者は、やさしさとは、時代によって揺れ動いている部分があり、人によって感受性が違うゆえにはっきりとしたかたちがあるものではないと結び、やさしさの定義をはっきりさせることよりも、やさしさについて考えることの方が大切なのではないかと投げかけている。
やさしいと言われて悪い気がする人はいないし、やさしい人には誰もが好意を抱く。うわべだけのやさしさを求めるあまり、気まずくなることを避けて本音は言わない、内心では嫌なことにも付き合っているということはないだろうか。本書を手に取って考えてみてほしい。
文=鋼みね