タラとレバばかり…「幸福感」を得られないワケとは? ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が答える!
更新日:2017/5/8
あなたはいま幸福ですか? そう問われたなら、即答できるだろうか。そもそも幸福が何かはっきりしない。幸福になりたいと誰しも思っているが、改めて考えてみると幸福の正体はよくわからない。ところで、幸福でないと答えた人も含め、実はみな幸福なのだ、本書によれば。
本書『幸福の哲学 アドラー×古代ギリシアの知恵』(岸見一郎/講談社現代新書)は、哲学者によって書かれた幸福についての本である。ちまたには「幸せになる方法」なる本がごまんとあるが、本書は哲学であるという点で一線を画す。ああすればいい、こうすれば幸せになれる、という短絡的な方法論は出てこない。だが、本書で著者が論ずる幸福というものが腑に落ちたなら、すでにあなたは幸福であるはずだ。
幸福とは何か。もしあなたが自分は幸福でないと思ったなら、それはなぜだろう。何かが足りていない? 不安や悩みを抱えている? なりたい自分になっていないから? では、どうなったら幸福といえるのだろうか。
望みの仕事に就けたら、最愛の人と結婚できたら、容姿に自信が持てれば、など様々な条件があるだろう。これらはいうなれば「幸福の条件」だが、著者は「幸福」と「幸福の条件」は違うという。「たら」「れば」をクリアすることが幸福ではない。
言い換えれば、幸福の条件を満たさなくても人は幸福になれる。なぜなら、幸福とは「幸福になる」ものではなくて「幸福である」ものだから。
例えばとても信頼していた人に裏切られたとしよう。その瞬間は落ち込んだり悲しんだりとてもつらい思いをするだろう。だが、裏切られた人は必ず不幸になるだろうか。人によっては一生を台無しにするほどショックを引きずるかもしれないが、人によっては立ち直り「ひとを信じること」についてすごく考えるようになるかもしれない。前者は不幸になったといえるが、後者はこれによってひとまわり成長をとげたことになるだろう。
このように、同じ出来事を経験しても、全ての人が不幸になるわけではない。何かの原因によって人は不幸になるのではないように、幸運なことがあって、そのことが原因になって幸福になることはない。幸福の条件のような、未来に達成する成功が幸福の原因にはならないのである。アドラーの言葉を借りれば、大切なことは何が与えられているかではなく、与えられているものをどう使うか。使い方によって人は幸福であることもあれば、不幸であることもありえる。
幸福になるために何かの実現を待たなくても、日常の瞬間に幸福を感じることができるものだ。たあいのないおしゃべりが楽しいとか星がきれいだとかささやかな幸せを感じること。これこそが「幸福」であり、著者のいう「人は幸福に“なる”のではなく、すでに幸福で“ある”」ということ。自分の価値を仕事や金銭など生産性に見ずに、存在それ自体をそのままを肯定していいのだ。そうであれば、「人は幸福にならなくても幸福で“ある”のなら、生き方も変わってくる。今ここを生きればいいからである」となる。
自分を認められなくて苦しんでいる人、過去のとらわれから抜けられない人、人間関係に悩んでいる人のみならず、社会的に成功していても何か満たされないと感じる人に本書はおすすめである。
哲学などなくても生きていける。だが、より幸福な人生を生きようと思うなら、哲学を学ぶのも悪くない。なぜなら哲学とはそのための学問であるはずだからだ。
文=高橋輝実