震災で工場を失った老舗醤油蔵。苦難の末に彼らを救った「もろみ」を巡るノンフィクション
更新日:2020/9/1
東日本大震災と、それに伴う津波は人々から多くのものを奪った。生命、家族、職場…失われたものを挙げていけばきりがない。そして、伝統もまた震災によって失われたものの一つである。生まれ育った土地が何世紀もかけて育んできた文化や慣わしが一瞬にして消え去った人々の無念は計りしれない。
それでも、立ち上がる人々がいる。『奇跡の醤(ひしお) 陸前高田の老舗醤油蔵 八木澤商店再生の物語』(竹内早希子/祥伝社)は岩手県にある老舗の醤油蔵が被災し、工場や原料を失っても再建を果たすまでの過程を追ったノンフィクションである。
19世紀初頭に酒造として創業し、200年以上も陸前高田で醤油蔵を代々営んできた八木澤商店。特に1升3,000円という破格の「生揚醤油」は、値段に見合うだけの味と香りを誇る八木澤の目玉商品だった。しかし、20011年3月11日、陸前高田は地震と津波で壊滅に近い被害を受ける。人口の1割近くが亡くなり、多くの会社が廃業に追い込まれたのだ。
八木澤商店も津波により工場を押し流されてしまう。醤油蔵にとって工場を失うことは、単に機械やマニュアルを失うだけではない。工場には醤油の味を決定づける原料の「もろみ」と、もろみの発酵には欠かせない「杉桶」が保管されている。醤油の生命線であり、江戸時代から守り続けてきたもろみと杉桶が無くなれば、二度と同じ味の醤油は再現できないのだ。
200年の伝統が波に消えていく様子を、社長の息子だった河野通洋さんは避難場所の高台から、従業員と一緒に眺めていた。八木澤商店はもちろん、陸前高田全体の再興など不可能に思えた状況である。しかし、5日後の3月16日、通洋さんは驚きの決断を下す。会社を存続させ、解雇者は一人も出さず、しかも4月1日に入社予定の新人も受け入れると従業員の前で宣言したのだ。
通洋さんと従業員の関係は必ずしも順風満帆ではなかった。利益優先で従業員と衝突し続けた若い頃の通洋さんは、人あってこその会社だと気がつくまでに長い時間を要した。そんな通洋さんだからこそ、震災時の避難所で、自分のことを後回しにして他人のために尽くす従業員たちの姿に感動し「この人たちと一緒に働きたい」と思うようになったのだ。通洋さんは創業以来最大の危機を前に、父の和義さんから社長を引き継ぐことを申し出る。
そんな中、流された杉桶が元の場所から2キロも離れた場所で発見される。驚くことに、桶の中には乾燥したもろみも残っていた。採取されたもろみは盛岡の工業技術センターに送られ、八木澤商店の体制が整うまで保管してもらうことになる。「奇跡のもろみ」と名付けられたそれは、八木澤商店と陸前高田の希望となっていく。
震災以降、八木澤商店を支えたのは全国の消費者や中小企業による無償のサポートだ。やがて、八木澤商店はOEM(製造委託販売)によって、少しずつ事業を再開していく。アメリカから研修に来た学生たちはそんな支え合いが理解できず、「なぜ同業他社を助けるのですか?」と通洋さんに聞いたという。通洋さんの答えはこうだ。
ひとつの会社が潰れると、そこで働く人が生活に困り、地域社会全体が崩れます。会社を潰さないで続けるということはとても大切なことなんです。
通洋さんの根底にあるのは陸前高田への思いだ。まるで我が身を犠牲にするかのように働き続ける通洋さんは、自身の行動を震災への「敵討ち」と表現する。大切な人や住む場所を奪われても、自然災害相手では怒りのぶつけようがない。だからこそ、地域を再興させ、明るい暮らしを取り戻すことで震災に復讐しようとするのだ。通洋さんは中小企業同友会気仙支部を立ち上げたり、復興まちづくりを目的とした「なつかしい未来創造株式会社」の役員に就任したりして精力的に活動していく。
そんな思いの強さが周囲と軋轢を生むこともある。震災のPTSDで通洋さん自身が壊れかけたこともある。しかし、そうやって現実と逃げずに闘う人々の前に「奇跡のもろみ」がもたらされたのは、紛れもない運命だったのではないだろうか。
果たして、「奇跡のもろみ」が八木澤商店伝統の味を再現できたのかは本書を読んで確かめてほしい。そして、強さと弱さを抱えながら、それでも前に進もうとする人々の姿に心を打たれてほしい。
文=石塚就一