はたらく動物は何を思う? 人とともに生きる動物たちの物語

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『はたらく動物と』(金井真紀/ころから)

古くは玖保キリコの『バケツでごはん』、最近ではヒガアロハの『しろくまカフェ』(ともに小学館)など、言葉を話す動物たちが動物園やカフェなどで働く作品はこれまでも存在してきた。しかし作者による創作ではなく、動物たちを取材してまとめた本は見当たらなかった。

はたらく動物自身はどう思っているのだろうか。おもしろいのか、かなしいのか――

『はたらく動物と』(ころから)作者の金井真紀さんは、はたらく動物たちと出会うべく大阪や長野、長良川やパリにまで飛んだ。彼らは一体、どんな思いで日々を過ごしているのか?

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ドキドキしながらページをめくると、まずは全国各地の畑を荒らす猿が登場する。金井さんによると、連中はカボチャを両脇に抱えきゅうりをくわえて逃げていったり、ネギの白い部分だけを美味しくいただき青い部分はポイ捨てしたりするそうだ。まさに憎っくき犯罪者・猿野郎と言いたくなる悪行三昧のこいつらは、はたらく動物ではない。この猿野郎を追い払うべく、長野県大町市で「モンキードッグ」として活躍するクロやココ、ベックなどの犬が“それ”なのだ。

当然彼らは言葉を持っていない。そこで金井さんは、モンキードッグを育成するスクールの教官・磯本隆裕さんやココの飼い主である山内さんと彼らとの関わりを描いていく。そう、この本のタイトルは『はたらく動物と』であって、『はたらく動物』ではない。現実はマンガではないので、動物との会話は容易にできるものではない。だから金井さんはたらく人たちを通して、はたらく動物に迫ろうとしているのだ。

金井さんは次章では、犬よりももっと気持ちが理解できなそうな鳥類の“鵜”に会いに、長良川まで足を運んでいる。「はじめに」でも紹介している松尾芭蕉の俳句、

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな

を引用しながら、首を絞められて食べかけた魚をオエーと吐きださねばならない、人間から見ると悲しき運命を背負った鵜飼の鵜を知ろうとするものの、77歳の鵜匠・山下純司さんに会うなり

「わしは本は読まん。ぜんぶ鵜から学んどるで。本を書く人間や学者先生なんてもんは、たわけじゃ思うとる」

と言われてしまう。しかしそんな状況をおもしろがりながら、「鵜からいろんなことを聞く」山下さん&鵜との距離を詰めていく。そして50年以上鵜匠を続ける頑固じじいと12羽の鵜が「ほうほうほうほう……」の声とともに、鮎をつかまえる姿までを追う。

金井さんによる山下さんと鵜には緊迫感はまったくないが、華麗にカッコよく鮎をつかまえる手練れであることはわかる。眺めているうちに「あの鵜たちはみんな、この仕事を好きでやっているのだ」の言葉にほっとし、彼らの末永い幸せを願ってしまうことだろう。

ほかにも長野で馬の「ビンゴ」に田んぼを耕してもらう横山さん一家や、花のパリで生ごみを食べるニワトリの親方・ステファンさんなども登場するが、一番グッとくるのは大阪の鶴橋に住む門川紳一郎さんと石塚祐一郎さん、そしてベイスのエピソードだ。

ベイスは盲導犬、門川さんは視覚と聴覚の両方に障がいを持つ「盲ろう者」で、石塚さんは門川さんと第三者を指点字で繋ぐ通訳者だ。指を点字タイプライターに見立ててパタパタと動かす石塚さんの横で、門川さんは自身の声が聞こえないにもかかわらず明瞭に話す。

そしてある時はベイスをお供に、居酒屋でビールを飲む自由を謳歌する。門川さんのこれまでやベイスとの出会いは本で知ってもらいたいので触れないが、両者を見ていると人間は動物とともに成長し、動物も人間とともに成長していくことが伝わってくる。

一冊を通してみても、働くことが動物たちにとっておもしろいのかかなしいのかは、結局のところわからない。しかしはたらくことで動物は「ペット」「癒しの存在」を超えて、「かけがえのない存在」に育っていくのだと気付ける(もちろんかわいくあって癒しを人々に与えるというのも、重大なミッションではあるのだけれど)。ともにはたらくことで人と動物は、姿や形は違っていてもパートナーになれるのかもしれない。

動物好きはもちろんだが、特段好きでなくても読み終わったあとは、彼らへの敬意といとおしさでいっぱいになることだろう。

文=今井 順梨