文は一行目から書かなくていい! 芥川賞作家が教える、デジタル時代の「伝わる文章」の極意
公開日:2017/3/21
「どうしたら文章がうまくなるか?」──こんな思いを抱いた人は少なくないはず。作家・ライター志望でなくとも、日常生活ではSNSなどでのやり取りや季節ごとの挨拶状があるし、ビジネスにおいても報告書や企画書、更には始末書を書かねばならないこともあるだろう。このように文章で伝えなくてはならない場面は多い。『文は一行目から書かなくていい』(藤原智美/小学館)は芥川賞作家でもあり、ノンフィクション作家として第一線で活躍を続ける藤原智美氏の経験を基に、この電子メディア時代で「伝わる文章」の極意を導き出す一冊だ。
やはり、最初に注目したいのはタイトルにもある「文は一行目から書かなくていい」の項目だろうか。書き出しが決まらず悩む読者諸氏は多いと思うが、本書は「最初の一行が書けないならほかのところから書き始めればいい」と結論付けている。
ではそもそも、なぜ順番に書かなくてはと思うのか。著者は小学校における原稿用紙を用いた作文授業が元凶ではないかと推測している。授業中に配られる用紙は提出に必要な最低限の枚数で、下書きなどせず鉛筆で書いていた。それだと終盤まで書き進めても、後で一行目を直そうとすれば消しゴムで消してまた書き直すことになる。それが面倒なので、一行目が書けるまで二行目に手を付けられなくなってしまうということだ。
しかし現代では、授業でなければ多くの人はパソコンで書くことだろう。それなら手書きとは違い、文章の増減や入れ替えは自在にできるので「思いつくとこから素直に書いていけばいい」と著者。断片的に書かれた文章でも、パソコン上で並べて整理すれば全体像や足りない要素も見えてくる。そこから書き足したり順序を並べ替えたりすることは、パソコンを使えば容易だろう。
また、書く上で注意したいのは、相手に伝わるか否か。私も書く上で常に注意しているつもりだが、それでも第三者から見ると伝わらない文章になっていることがあり反省しきりである。本書でも指摘されているが、そういう時は自身の常識や思い込みにとらわれてしまっている場合が多い。特に自分の得意分野を解説しようとすると、その中でしか通用しない常識でも、世間的に知れ渡っているかのように書いてしまいがちになるのだ。
例えばある記事内で、気になったニュースを引用して分かり易くたとえようとしたのだが、そもそもそのニュース自体がファン同士のコミュニティでの盛り上がりに比べ、世間一般ではさほどでもないと指摘されたことがある。自身の感覚と一般の感覚が乖離している好例だろう。
こういう失敗は社内マニュアルなどでも注意したいところ。本書でも著者は「マニュアルを書いたのであれば、それを見て作業する人に直接読んでもらい、意見をぶつけてもらうこと」とある。そこで気をつけたいのは既に作業内容を熟知した人に見せても、さほど意味はないということだ。その熟練者にとっては元々分かりきったことなので、未完成のマニュアルでも流し読みすれば通じてしまい、明確な間違い以外は案外と気付かないもの。だから「作業ができない人、そのマニュアルで勉強しようという人に読んでもらって意見を聞く」ことが有効だという。本当にその文章が必要なのは初心者なのだから。
読み手に伝わる文章を書くことは難しい。しかし、先述のような心がけがあるだけでも伝達力は上がる。書くこと自体が苦手なら1~2行の程度の日記から始めてもよいのだ。その際には単語の羅列ではなく文章で書き、感情が動いたことも書くのが大切。例えば「近所に新しい喫茶店がオープン。気になって入ってみたが、想像以上にコーヒーが美味しかった。また行こう」という感じ。これを皮切りに、どう美味しかったのか、どのような店なのかも書けるようになれば上達は進む。まずは感じたまま、素直に書いてみるのがオススメだ。
文=木谷誠