大人になったつもりの自分をグサグサ刺してくる、最果タヒの最新作『十代に共感する奴はみんな嘘つき』
更新日:2017/11/12
過去のきみは、きみの所有物ではない。十代の私のことを私は、一つも理解できていない。そう思っていなければあの頃の私があまりにかわいそうだ。懐かしさという言葉ですべてをあいまいにして、そしてわかったつもりになるなら、それは自分への冒涜だ
小説本文はもちろんのこと、とどめのあとがきに一行目からのされてしまった『十代に共感する奴はみんな嘘つき』(最果タヒ/文藝春秋)。21歳の時、女性では最年少(当時)で中原中也賞を受賞した新進気鋭の詩人が放つ、最新小説だ。
主人公は、17歳のカズハ。直視するのが苦しくなるほど自意識にまみれ、物事の本質が見たくてしかたなくて、ピュアなんていちばん気持ち悪いといいながら誰よりも純真な女子高生だ。陸上部の沢くんに告白してみたものの、「まあいいよ」という返事がなんかいやで、その場でふってしまい、女友達からの反感を買ってしまう。その結果、クラスでぼっちの初崎さんと関わることになり、なぜか状況をおもしろがる沢くんとも仲良くなる。
家では兄が、自分の親友と浮気した彼女を、結婚するといって連れて帰ってくる。しかもその親友を連れて。そのすべてがカズハにはいらだたしくて、めんどくさくて、気持ち悪くて、理解できない。できないというよりもたぶん、したくない。どうでもいいと思いたいし、実際ものすごく傷ついているわけでもないけど、そこはかとなく切なくて、苦しい気持ちになったりもする。
そんなカズハの日常と想いが、リズミカルな言葉であふれだしている本書を読んでいるうちに、とにかくいたたまれなくなった。カズハに、ではない。追いやったはずの過去の自分がまざまざと浮き上がってきたからだ。たぶん、多くの読者は同じ思いに見舞われるだろう。この本には青春が詰まりすぎている。
10代の自分は、イタい。正直、思い出すとのたうちまわりたくなる。世の中を斜めにみて自分だけが“わかっている”ような気になって、(へ)理屈を並べていた。でも一方で、そんな自分がちっとも大人でもなけりゃ特別でもないこともわかっていたのだ。わかっているから、もがいていただけだ。今ふりかえると「青かったなあ」と思う。「若いときって、当たり前のことが素直に受け取れないのよね」なんて目を細めてうなずいてみたりもする。でもそれは、10代の自分を理解しているわけじゃない。否定しているのだ。ねじまげているのだ。「そんな時期もありました」と勝手に今の自分を形作った礎に変えてしまっている。
だけどそうじゃないだろう、と思うのだ。「わかったような顔してうなずく大人になんてなりたくない」と思っていた自分に、大人の顔をして理解を示すのはまちがっている。それは最果さんの言うとおり、過去の自分への冒涜に他ならない。そのことを、つきつけられたし、思い知らされた。ああ、ごめん。と謝りたくもなった。過去の私は、あのとき、あの時点で最強だった。他人や今の自分から見てどんなに恥ずかしかったとしても。自分だけの青春を貫きとおすカズハが、最強であるように。
過去の自分を封印したいと思っている人にこそ読んでほしい。あとがきだけでも買う価値のある本だとおすすめします。
文=立花もも