カネの話がわかればアートがわかる!? 不純で魅惑的な美術案内

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『サザビーズで朝食を―競売人が明かす美とお金の物語』(フィリップ・フック:著、中山ゆかり:訳/フィルムアート社)

『サザビーズで朝食を―競売人が明かす美とお金の物語』(フィリップ・フック:著、中山ゆかり:訳/フィルムアート社)は、お金とアートをめぐる切っても切れない関係について、あるいはある美術作品が持つ「魅力」や「価値」の正体について、情け容赦ない解説を加えた1冊である。

たとえば我々が今、1枚の絵の前に立っているとしよう。独特の鮮やかな色使いと激しいタッチで描かれたゴッホの油彩画だ。おそらく私たちのうち、何人かは彼の有名な、耳のない自画像のことを思い出すかもしれない。それは、画家の悲劇的でドラマティックな人生を象徴するような絵だ。その絵は、狂気、自殺、早世…まさに天才アーティストにふさわしい伝説を人々に思い起こさせ、しばしば私たちを感傷的な気分にさせる。また絵を見ている人のうち、別の数人はバブル期の日本にやってきた『ひまわり』のことを考えるかもしれない。58億円という高額で購入された、ゴッホの代表作だ。1枚の絵が58億円! そこで私たちは、目の前の絵をこれまでとはまた違った視点で見つめることになる。もしかしてこの絵だって、少なくとも数億円はするのではないのか…。

おそらくこうした美術作品の鑑賞の仕方は、自称・美術愛好家からはヒンシュクを買うかもしれない。作品それ自体の魅力や芸術的価値とはまったく関係ないところで、美術作品を判断していることになるからだ。しかし、そもそも美術作品の魅力や芸術的価値とはいったい何で決まるのだろう? ゴッホ作品に数十億出す人はいても、無名の新人画家の絵にそれだけの価値を見出す人はいないはずだ。また同じゴッホの作品でも、初期の(地味で)写実的な作品と、後期のいわゆる「ゴッホっぽい」作品(『ひまわり』とか、『星月夜』とか)、どちらに魅力を感じる人が多いかと言われたら…。はたまた、もしゴッホが人格円満な人物で、精神病院にも入らず、自殺もせず、100歳まで平和に長生きしていたとしたら 、私たちは彼の作品に今ほどの熱狂を示せるだろうか?

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結局のところ、美術作品の価値や魅力は、お金の話やそれを所有することによる優越感、画家本人の女性遍歴などといった下世話な視点を抜きに語ることはできない。著者が問題提起したのは、まさにそこの部分だ。

作品の質が「優れている」ことはもちろん大切だが、私たちはその1点だけに美術作品の価値なり魅力なりを見出しているわけではない。そのことは究極的には、美術作品の「価格」として現れてくる。同じ画家の作品でもアースカラーで描かれた絵よりも色鮮やかな絵の方が高く売れる(!)。陰惨な雰囲気の宗教画は現代ではあまり人気がない…。著者はベテランの競売人だけあって、そのあたりのモノの見方についてはかなりシビアだ。多くの人が薄々感じていること、でも口に出すのはちょっとためらわれることを、誰に遠慮することなく著者は語る。その辛辣でユーモラスな語り口にのせられて本書を読み進めるうちに、読者はこれまでとは少し違った角度から、美術作品というものを眺め始めていることに気づくだろう。美術作品の金銭的な価値、すなわち作品の「価格」を構成しているものの正体がはっきりとわかってくるからだ。それはある意味、正しく美術作品を見られるようになるということに他ならない。

確かに、「価格」は美術作品の価値をはかる1つのモノサシにしか過ぎない。しかし少なくとも、特定の時代における人々の嗜好や価値観――大勢の人々が、ある作品に対してどれくらいの価値を見出だせるかどうか、を表すことはできる。美術作品とお金の関係について考えることは、美術作品の持つ魅力や価値を考察することでもある。美術の世界をお金という視点から語ることは、決して恥ずべきことではない。むしろ美術作品や、それを取り巻く環境というものを理解する上では、実にまっとうな試みなのだ。

文=遠野莉子