『ズートピア』が、『ローグ・ワン』が、ディズニーランドがより深く見えてくる! ダークサイドに切り込むディズニー評論
公開日:2017/4/8
『アナと雪の女王』『ズートピア』など毎年のように大ヒット作を送り続けているディズニー。今年もまた、『モアナと伝説の海』がここ日本でも大ヒットを飛ばしている最中だ。ディズニーランドやディズニーシーの人気は衰えることなく、「明るく健全なエンターテインメント」として、広く認知されているといっていい。
しかし、そんなディズニーのイメージを覆すディズニー評論が『暗黒ディズニー入門』(コアマガジン)である。ブランドイメージからはかけ離れたディズニーのダークな真実に、驚愕させられること間違いなしの一冊だ。ディズニー作品を「子供だまし」として食わず嫌いだった人にこそ、このエッジの効いた評論を読んでほしい。
著者の高橋ヨシキ氏は映画秘宝誌や映画ポスターで知られるデザイナーであり、数多くの映画評論も残している。しかし、彼の仕事の多くがバイオレンス色の強い作品を対象としてきたため、ディズニーとの組み合わせを意外に思う人もいるだろう。著者がディズニー作品に興味を持つきっかけとなったのは、幼少期に映画館で見た『ダンボ』と『メリー・ポピンズ』だった。特に、魔法使いが人間社会で大活躍する『メリー・ポピンズ』からは「魔術への信頼」を感じとったという。そして、この「魔術への信頼」こそがディズニー世界の根底にあるのではないかと考えるようになった。ありとあらゆる手段を使って幻想を現実化するのが、ウォルト・ディズニーの時代から受け継がれているディズニーの特徴だと主張するのである。
現実社会における「魔術への信頼」は、まず映画技術という形で現れる。ディズニーの過去作品をひもとくことで、その革新性が明らかになっていく。アニメーションのキャラクターをまともな「俳優」のように見せた『白雪姫』。マット・ペインティングを駆使しながら、絵画の世界と実写の世界の境界線を消し去った『メリー・ポピンズ』。これらの技術の発展型は、現在のディズニー作品にも受け継がれている。主人公の少年以外のほぼ全てがCGで描かれた『ジャングル・ブック』には、それでも「絵画的な絵作り」の名残があると著者は見抜く。また、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』で、若かりしレイア姫の姿をCGで蘇らせたこともまた、(ファンへの道義的な問題はさておき)「幻想の現実化」といって差し支えないだろう。
ディズニーランドもまた、ウォルトが信じた「魔術」の結晶である。本書ではディズニーランド登場以前の遊園地とディズニーランドを徹底比較し、その違いを解明していく。かつて、遊園地は若い男女をターゲットとした場所であり、暗闇を乗り物で進んでいくライドは、隠れてキスできるアトラクションとして人気だった。そんな破廉恥ともいえる従来の遊園地を健全に「ディズニー化」することで、家族連れでも安心して楽しめる「夢の王国」に変えたのがディズニーランドだったのである。
物事の問題をなかったことにしてしまう「ディズニー化」については、著者が「決して良いこととは限りません」と懸念するように、賛否があるだろう。実際にディズニー作品やディズニーランドを嫌う人の主張は、「ディズニー化」への嫌悪に根差していることも多い。しかし、一方で、ディズニーほどのビッグブランドでなければ、歴史の闇を無視した表現がこれほどの問題になることもなかったはずだ。重要なのは、「ディズニー化」が作品にとって効果的に働いているかどうかを見極めることではないだろうかと、本書では問題提起がなされている。
大ヒット作『ズートピア』の下敷きにあるのが、人種差別表現が批判されてきたディズニー作品『南部の唄』だという指摘も興味深い(『ズートピア』のジュディとニックは『南部の唄』の「うさぎどん」と「きつねどん」と全く同じ色の服を着ているシーンがある!)。『ズートピア』は過去作への批判を受け止め、より良い未来を提示していこうというディズニー側の決意の表れだったのだろう。本書は決して健全なだけではないディズニー作品の奥深さへと導いてくれる。
文=石塚就一