映画原作! 19世紀のパリを生きた天才黒人芸人「ショコラ」の波瀾万丈な人生から人種差別の根深さが見える
更新日:2017/11/12
1月21日から日本で公開された映画『ショコラ~君がいて、僕がいる~』は19世紀のパリを舞台にした感動的な物語である。人種差別が今より過酷だった時代に、イギリス人クラウン(道化)のフティットとのペアでサーカスの人気者になっていく黒人の主人公、ショコラはどこまでも前向きで魅力的だ。
しかし、映画では人種問題も顔をのぞかせ、決して明るいだけの物語にはならなかったのが印象的だった。ショコラもフティットも実在の人物をモデルにしているが、映画の原案となったノンフィクション『ショコラ 歴史から消し去られたある黒人芸人の数奇な生涯』ジェラール・ノワリエル:著、舘 葉月:訳/集英社インターナショナル)を読むと、彼らが直面していた人種問題をより深く知ることができるだろう。
19世紀当時、「ショコラ」とは黒人を指す言葉であり、差別的な響きが含まれていた。映画の主人公のモデルになった黒人の本名はラファエルであり、ハバナの出身である。奴隷時代の雇い主に虐待され脱走するなど、苦難の連続だったラファエルはパリの名門サーカス、ヌーヴォー・シルクへと辿り着く。身分の低さは変わらなかったが、クラウンの補助や雑用の仕事は、彼がこれまで経験してきた重労働と比べても楽だった。そして、わずかな休憩時間を利用し、ラファエルは舞台役者のパフォーマンスを真似し始め、クラウンに抜擢されるまでになる。当時、黒人のクラウンは白人がメイクをして演じるのが一般的だった。黒人が黒人役を演じるという当たり前のことが当時のパリでは革新的で、ラファエルは話題になっていく。公演をこなすうち、才能を開花させたラファエルは演技の幅を広げ、一流の喜劇役者へと成長する。やがて、映画にも登場するジョージ・フティットとペアを組むと人気は爆発、当時発明されたばかりの映画にまで記録されるまでに名前を轟かせた。
そんなラファエルの生涯に興味を持った著者は、参考文献を漁っていくうちに、信用されている当時の資料さえも酷い差別と偏見に満ちていることを発見する。たとえば、フラン=ノアンというジャーナリストが書いた文章では、行ったこともないハバナを「あばら家」ばかりの場所と決めつけ、そこに暮らす人々も野蛮人扱いしている。同じ轍を踏まないために、著者は徹底的な取材と文献の読み込みに基づき、ラファエルの生涯を克明に描き出す。本書の随所で挿入される、著者からラファエルへの手紙は、著者の熱い思いを象徴しているといえるだろう。
ラファエルへの愛ゆえに、著者は歴史の暗部からも目を逸らさない。たとえば、ラファエルがサーカスで、カンガルーとボクシング対決をさせられるなどの危険な扱いを受けていた事実だ。カンガルーの脚力を持ってすれば人間を殺傷するなどたやすい。それでも生活のためには言いなりになるしかなかった当時の有色人種の立場を思い知らされる。
フティットとの関係も波瀾万丈だ。天才と呼ばれたフティットが、ラファエルへの嫉妬と差別意識を捨て去ることは難しかった。ペアを組んでいたときですら、フティットはインタビュー記事で、ラファエルを見下し、引き立て役扱いしているのである。公演のクレジットでも、いつからかラファエルの名前との間に「et(英語におけるand)」をつけることを拒否し、カンマで区切るようになる。また、自分の子供に役を与えるため、ラファエルを脇役に押しやったこともあるのだ。
フティットはラファエルの才能を誰よりも身近で見ていたはずだ。もしもラファエルが白人だったら、素直に彼の存在を受け入れられたのだろうか? 二人の関係は人種差別の本質的な根深さを浮かび上がらせる。
人気は永遠ではない。若いダンサーにサーカスの主役を奪われた二人は、サーカスを解雇される憂き目に遭う。共に精神を病んだ二人は、苦節の果てにコンビを再結成する。そのとき、お互いの心境はどんなものだったのか、本書から読み取ってほしい。
文=石塚就一