ハムレットの東北弁は「すっか、すねがだ、なじょすっぺ」!? 東北弁シェイクスピア劇団の奮闘は海を越える
公開日:2017/4/21
いきなりそう聞いても多くの人は「?」となってしまうだろう。しかし、実はいずれもウィリアム・シェイクスピアの書いた舞台劇の台詞である(前者は『ハムレット』、後者は『ロミオとジュリエット』)。ただし、いずれも東北弁に翻訳されているのだ。
仙台を拠点にして東北弁でシェイクスピアの舞台を上演するという、奇抜なコンセプトで注目を集める「シェイクスピア・カンパニー」、本書は主宰者自らが劇団の生い立ちを綴った一冊だ。演劇と聞くと高尚なイメージを抱いてしまう人もいるだろうが、本書は文化とは誰のために存在するのかを考えるきっかけになるだろう。
世界最大の劇作家と呼ばれるウィリアム・シェイクスピア、彼の残した作品は500年以上も世界中で上演され続けている。演劇に詳しくない人でも『ロミオとジュリエット』や『ハムレット』といった作品の存在は知っているはずだ。それを、どうして東北弁で上演しようという発想に至ったのだろうか?
少年時代から映画や本でシェイクスピア作品に親しんできた著者は、大学で教鞭をとるようになってからも演劇と深く関わっていく。そして、演劇環境が整っていない東北でもロンドンの「グローブ座」のような形式でシェイクスピアを上演できないかと考えるようになる。地元民に演劇へのハードルを低く考えてもらうためにも、台本を東北弁に翻訳するのは必然だったのだ。
著者に呼びかけにより、30人ほどの劇団員が集まり、シェイクスピア・カンパニーは発足した。全員が俳優や演劇ファンばかりではなかったが、みんな本職の合間を縫って著者に協力してくれた。そして、1995年8月、第1回公演『ロミオとジュリエット』が上演されると、数多くのメディアに取り上げられたこともあいまって大盛況を収める。しかし、著者の心にとあるアンケートが突き刺さった。
とてもおもしろかった。でも舞台はイタリアのヴェローナなのに、なぜ東北弁なのですか?
設定された言語圏外で作品を上演するときにつきまとう本質的な疑問である。シェイクスピア・カンパニーはそれから独自の上演スタイルを突き詰めていく。それは
「十六世紀イギリス人のシェイクスピアに、二十世紀の日本の東北に来ていただいて、東北に暮らす私たちのために、作品を書き直してもらう」
ことだった。
シェイクスピア・カンパニーは第2回公演以降、舞台も時代設定も大胆に翻案された東北弁シェイクスピアを上演するようになる。たとえば、『夏の夜の夢』はタコやカッパが登場する『松島湾の夏の夜の夢』、『ハムレット』は奥羽列藩同盟を題材にした『奥州幕末の破無礼』として生まれ変わるのだ。
もちろん、原作のテイストを守ることは忘れていない。黒澤明も翻案したことがある『マクベス』なら、最大の特徴は非現実的な「魔女」が登場することにあると言われている。そこで、著者たちは魔女をイタコに置き換え、『恐山の播部蘇』の脚本を完成させた。同作品は『マクベス』の舞台であるスコットランドのエディンバラでも上演され、新聞で三ツ星を得るほどの好評を博した。
しかし、著者がやりがいを感じるのはメディアから評価されたときではなく、観客の喜ぶ顔を見た瞬間である。三ツ星にピンと来なかった著者も被災地公演で「おら、ぜんぶわがったおん」と言ってくれたおばあちゃんにはうれしさを露にするのだ。
いまや世界中から注目される存在となったシェイクスピア・カンパニーだが、東北を拠点にするという気持ちは変わらない。東日本大震災の衝撃を受け、その想いはますます強くなっている。現在は仙台市内に劇場を建設するべく、実現に向かっているところだ。
シェイクスピア・カンパニーの活動を天国のシェイクスピアはどう思うだろう? きっと笑顔で頷いていてくれるのではないだろうか。なぜならシェイクスピア自身も富裕層や一部の愛好家のために脚本を執筆していたわけではなく、あくまで大衆のための作家だったからだ。
文=石塚就一