世界に衝撃が! 数千人以上もの子どもたちを襲った性犯罪。巨大権力により組織ぐるみで隠された真実とは?
更新日:2017/5/8
いつの時代でも“権力”というものは存在する。弱い立場にいる者が、たとえ正しくあっても強い権力の下では泣き寝入りし無力となることは少なくない。一個人の前に立ちはだかる存在が大きな組織であればなおさらである。
『スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪』(ボストン・グローブ紙〈スポットライト〉チーム:編、有澤真庭:訳/竹書房)はキリスト教最大の教派・カトリック教という巨大権力が聖職者たちによる性的虐待を組織ぐるみで隠していたという事実を明かしたルポタージュである。司祭により被害を受けた子供たちの数は数千人にも及んでいるという事実が世界中の多くの人々に衝撃を与えた。すでに公開された映画『スポットライト 世紀のスクープ』でこのニュースを知り驚愕した人もいるかもしれない。
本書ではドラマチックに描かれた映画よりも、さらに深く具体的に教会が犯した大罪の事実を明かしている。そこには映画では知りえない生々しい被害時の状況、被害者たちの悲痛な声や事件により受けた影響、虐待した司祭たちや司祭たちの罪を隠し続けた上層部の人間たちの言動、彼らのその後といった事件の事実が写真や資料とともに綴られているのだ。加害司祭や関係者の写真、直筆の手紙まで公開されているため、よりリアルに事件を感じられるのである。
この事件の舞台となっているのがアメリカ最大のカトリック都市と言われているボストンだ。土地柄ゆえに教会の権力はとても強い。
カトリック教会の構造は法王を筆頭に枢機卿(すうききょう)、大司教、司教、司祭、助祭と続き、区域にわけて教会をまとめる教会行政上の単位として教区がある。同じキリスト教でもプロテスタントとは異なり、司祭以上は結婚することが禁じられているのだ。
今回のスキャンダルで暴かれた多くの犯罪は司祭によるものだ。“神父”と呼ばれる司祭は信者と接する機会が多い。そして未成年者を次々と虐待した司祭たちは一生独身が強いられている者たちばかりなのである。
映画でも登場したゲーガン神父の罪はとりわけ際立っている。被害者の名乗り出により明かされただけでも2002年までに1人で200名以上の未成年男児に性的暴行を与えているのだ。
特に母子家庭は狙われた。後から語られたゲーガン神父の話によると、子育てに苦労している母親は男性の介入を歓迎するため、これを利用することで犯罪が重ねやすかったという。さらに「司祭を家に迎えることは名誉とされていた」ため、ゲーガン神父が個人の家に入り親の目に届かないところで子どもたちと過ごしても違和感を与えなかった。それどころか、母親からありがたいことと喜ばれてさえいたのである。
教会は被害者家族から告発の声が上がるたびに加害司祭たちの教区を異動させることで事件を隠し、騒ぎをおさめてきた。最も弱い存在である信徒を守るどころか、危害の及ぶ状況にさらし、被害者を増やし続けたのだ。
また、被害を訴える者たちがいると内密に話を付け和解に持ち込む。大半の場合、被害者はこのような被害に合っている信者が複数いることを知らずに恥辱を感じプライバシーを守り、信心を全うするために和解に応じるのだという。被害者が裁判に持ち込んだ場合でも和解に達し次第、判事の協力を仰ぎ訴訟の取り下げをする。そして権力を用いて訴訟が起こされた公的記録すら消してしまっていたというのだ。判事だけではない。政治家、警官、検事までが聖職者の不祥事の隠蔽に対して大なり小なり協力的だったというのである。
司祭による虐待事件はその後、イギリス、カナダ、アイルランド、オーストラリアなど次々と判明している。
神を心から信じ、生きる拠り所としている者たちにとって教会の罪はあまりにも重い。神に裏切られた子どもはその後、誰も信じられないと語る。隠蔽という罪を犯した教会には今、大きな変革が求められているのだ。最終章の「変革の苦しみ」では伝統が阻む中、再生に向けた取り組みが紹介されている。
全米だけでも虐待した司祭は6427名、被害者は1万7259人いるという。スキャンダルでは済ませることができない大罪の数々。情報公開が多く求められる現代も、いまだに隠蔽や権力によるねつ造は少なくない。弱き者が泣き寝入りせず、知られるべきことが明かされる世の中の重要性について本書でぜひ考えていただきたい。
文=Chika Samon