「薬味」「怒り」「長生き」「座席」……世の中にあふれるマナー問題を物書きたちがさくっと解説! 笑えてタメになるエッセイ風マナー本
公開日:2017/4/24
作家さんの「視点」は、やっぱり独特で面白い。なのに共感ができるんだよなぁ……としみじみ思った『楽しむマナー』(中央公論新社:編/中央公論新社)。本書はさまざまなジャンルをまたがる「物書き」のみなさんが、日ごろ感じているマナーについて語る≪テーマのある短編エッセイ風読み物≫だ。
執筆陣は小説家の乃南アサ、角田光代、綿矢りさ、逢坂剛、学者の藤原正彦、荻野アンナ、竹内久美子、福岡伸一、エッセイストの酒井順子、医師の鎌田實、歌手のさだまさし、ノンフィクション作家の高野秀行、歌人の東直子といった、文筆業に関わりながら色々な分野で活躍する錚々たる面々。
一人でも好きな作家さんがいるなら、ぜひお手に取ってもらいたい。かくいう私は数学者の藤原先生が好きなので読んでみたのだが、もれなくみなさま面白かった。失礼ながら名前を知らなかった方のマナーが、すごく心に刺さったりも。
例えば小説家の乃南先生の「薬味のマナー」。
乃南先生は薬味が大好きらしい。「なければないで、べつにいいんだけど、やっぱりあるとないとではずい分違う。それが薬味というものだろう」。そこから自身がお好きだという「紅ショウガご飯」の話になり、「私にとってのショウガは、もはや薬味だけでは済まなくなっている」という話題に。
そもそも、薬味は「使う側が『端役』と決めているだけのこと」。そう考えると、薬味は人生と似ていることに気づく。「自分の人生においては自分が主役だが、人さまの人生においては、せいぜい薬味程度で終わることの方が断然多い」。
けれど、時には自分を「薬味以上」に考えてくれる存在も現れる。その時がくるまで、「たとえ地味な役割でも、取りあえずきっちりと薬味の役割を果たすのがよさそうだ」。……とのこと。薬味が「人生の話」にまでつながるとは。
同じく小説家の角田先生の「怒りのマナー」は、クレーム電話を受けることもあったという自身のアルバイト経験に触れた後、「さほど怒っていなくても怒りを伝えたいときは、大げさに怒ってみせるとより伝わる」。「反対に、100怒っているときは20くらいの怒りを伝えたほうが、きっとより伝わるのではないか」「つまるところ、人に伝えたい怒りには、技が必要なのである」という帰着に。うーん、確かになぁ。
生物学者である福岡先生の「長生きのマナー」では、17世紀に顕微鏡で微生物を見続けたレーウェンフックというオランダ人についての話題から。彼は顕微鏡学の始祖として有名なのだが、学者というわけではなく、余暇を利用した単純な趣味として顕微鏡の作成と観察を行っていたそうだ。
つまりレーウェンフックは「アマチュア」だが、好きが高じて歴史に名前が刻まれた人物なのだ。「アマチュア」とは「プロに対する素人」ということではなく、「何かを好きになり、それがずっと好きであり続けられる人」である。
「アマチュアの心こそが、長い人生を送るうえで大切なことだと思うのです。何かを好きであることが、ずっとその人を支え続ける」と福岡先生は語る。
数学者の藤原先生の「座席のマナー」は、教壇に立った際に感じた学生が座る席について。「彼らは自分の個性に合った所を特に意識しないまま選んでいる。だからどこに座っているかでどんな学生かおおよそ分かる」とのこと。
最前列の学生は真面目で勉強家。一方で最後列に座る者に勉強家はまずいない。だが、そこには時折「大物」がいて、「教室を睥睨しながらつまらぬ講義や無能な教官を冷笑していたりする」そうだ。
中間地帯にいるのは大体普通の学生。藤原先生はこの中間地帯にいる学生の顔色をうかがい、彼らに講義の理解が及んでいるかを基準に授業を行っているとか。
中間地帯の学生が理解できていれば、前列席の学生は大丈夫だし、最後列にいる者は「元々どうでもよい」とか。「かわいい女子学生は大抵中間地帯にいる」とも。
世の中にはさまざまなマナーがある。
それを「物書き」の視点を通して見ると、あら不思議。「そういう見方もあるのね!」という驚きと「確かに~!」という共感が生まれるのだ。
どの「マナー」も見開き1ページという短いものなので、毎日ちょっとずつ読み進めるのも楽しいだろう。本書は身近なマナーを取り上げながらも、自分の知らない世界へと誘ってくれる、そんな一冊だった。
文=雨野裾