「住みたい街」の正体をあばく! 『首都圏「街」格差』【連載】第4話「人気の街になりそこねた 田端の悲劇!」
公開日:2017/4/24
毎年注目される、不動産情報サイトや雑誌の特集で発表される「住みたい街ランキング」。そこに登場する「街」は本当に住み良いところなのか? 人気はずっと続くのか? これからランクアップする「穴場」はどこか? そんな「住みたい街」の正体をあばく文庫本『首都圏「街」格差』が好評発売中! いま首都圏で話題となっている様々な「街」をテーマ別に選定し、現地での観測調査と統計資料を使いながら実態をあぶり出していきます。
LINEスタンプが叫ぶ「山手線で1番無名!」
「住みたい沿線ランキング」で屈指の人気を誇る山手線には29の駅がある。しかし、そんな山手線の中にも、「住みたい街」のアンケート調査で、まったく名前が出てこない、目立たず地味な街が存在する。その筆頭が田端である。
人目に触れて何かと話題になりやすい山手線沿線にありながら、存在感が薄い。それはある意味、すごい。「山手線で1番無名!」という“地味アピール”をする田端駅のLINEスタンプが、最近地味に浸透しているという。
「残念」な歴史は、“地形”のせいだった
田端駅のホームに立って眺めてみると、街の地形がよく分かる。その昔、江戸庶民が納涼を楽しみに出かけたという道灌山からつらなる丘陵地は、音無川に向かって急峻な斜面になっている。その斜面の中腹に明治29年(1896)、田端駅が開業した。
明治36年(1903)には池袋から大塚支線(後の山手線)が接続される。ほんの一時ではあるが、田端駅が東北線と京浜東北線の接続する重要な乗継ぎ駅だった頃もある。うまくすれば上野や新宿のような一大ターミナルに発展する可能性があったかもしれない。
が、やがて山手線が全通して鉄道網が整備されてくると各線の接続駅が増え、しだいにその存在感は薄れてゆく。やがて東北線も停車せず通過するようになり、東北線と京浜東北線の接続駅としての地位も赤羽駅に奪われてしまった……。
チャンスを生かしきれなかったのは、その地形に原因がある。駅前に広い土地が確保できないのだ。田端駅の表玄関である北口には、平成20年(2008)に開業した駅ビルの「アトレヴィ田端」があり、道を挟んだ斜向かいには高層のオフィスビルも建っているが、目ぼしい建物はそれだけだ。
建造物を建てる場所がない。城壁のような丘陵地が駅のすぐ近くにまで迫ってきている。発展したくても、駅周辺に土地がない。丘陵地の斜面に駅を設置した時点で、田端の運命は定まっていたようである。
“地味”だからこそ、守られてきたものもある
住宅地の坂道を下り、田端駅から遠ざかる。隣の駒込駅まではまだ距離があり、徒歩15分圏内には駅は見あたらない。住宅街の最深部、静かな路地を抜けると「田端銀座」の商店街がある。駅前に場所が得られなかったにしても、こんな離れた場所に商店街があるのは面白い。
生活に必要なモノは、この商店街ですべてそろう。商店街と駅との中間点にある住宅地からなら、どちらも気軽に歩いて行く気になれる近さだ。便利なうえに、付近には寺社も多く静か。となれば、家賃のほうも気になってくるが、ワンルームで6.3万円程というのが平均相場だという。山手線沿線では家賃相場が最も安いという。
「住んでみたい」
そういった思いも湧いてくるだろう。
しかし、静かな住環境も格安の家賃相場も、田端が地味な存在だからこそ守られてきたもの。世間の注目が集まるようになれば、すぐに変わってしまうはずだ。都心部の交通の大動脈である山手線沿線にありながら、ここまで人目につかず地味な存在であるという「奇跡」は今後いつまでつづくのだろうか?
首都圏「街」格差研究会●首都圏で「住みたい街」として人気の各街の実態を、フィールドワークや収集したデータをもとにして研究している集団。
青山誠●大阪芸術大学卒業。ウェブサイト「BizAiA!」で『カフェから見るアジア』を連載中。著書に『江戸三〇〇藩 城下町をゆく』(双葉新書)などがある。