「良心とか後悔が私には一切ない」――サイコパスと混同されやすいソシオパス(社会病質者)とは?
更新日:2017/11/15
ハンニバル・レクターのように精神疾患を抱えた人物は長年、フィクションやノンフィクションを問わず人々の興味の対象であり続けてきた。しかし、疾患を抱えた側の人間から症状を説明するタイプの書籍はほとんど見られなかったのではないだろうか。
M・E・トーマス(仮名)は元弁護士にして、現在は大学教授を務めている女性である。社会的に信用があり、有能で魅力的、そして「ソシオパス(社会病質者)」と診断されている。著作『ソシオパスの告白』(高橋祥友:訳/金剛出版)はトーマス自ら、ソシオパスの思考を明らかにしていく前代未聞の内容である。
まず、ソシオパスの定義について説明しておこう。サイコパス(精神病質者)やアスペルガー症候群など、その他の精神疾患と混同されやすいソシオパスだが、基本的には社会性を大きく欠いた精神構造を持つ人間を表している言葉だ。ハーヴェイ・クレックリー博士によれば「信頼性の欠如」「後悔や恥の欠如」「人生の計画を守れない」などの16の項目によって定義されるという。ソシオパスは他人に共感せず、法やルールを軽視し、衝動的な行動に走る傾向がある。そして、多くの場合は知的で、他者から見て魅力的な人物でもある。
本書ではソシオパス診断クイズが掲載されているので、試してみるのが分かりやすい。設問の要約は以下のとおり。
ある女性が友人の結婚式に出るために吹雪の中、車を走らせていた。しかし、車はスリップし、走行不可能になる。助けに来てくれた警察官は彼女に出席を諦めるよう諭したが、彼女は結局ヒッチハイクで2時間かけて式場まで駆けつけた。彼女はソシオパスだと思うか?その理由は?
トーマスの答えは「はい」である。トーマスには、「彼女が親友のために必死だった」という発想はない。結婚式に間に合うためには吹雪の道を進むしかないのなら、それが一番手っ取り早かったのだろうと感じるだけだ。彼女の答えからはモラルや思いやりが抜け落ちている。事実、本書にはこんな記述もある。
人々が良心とか、後悔と呼ぶようなものは私には一切ないというのが現実である。
トーマスが綴る半生は、思考回路が常人と違いすぎて驚きの連続だ。幼少時から家族や友人と利害関係でしかつながれない。どこまでも冷静に周囲の人間を観察し、自分が上の立場になるよう計算し続ける。そして、利用価値がなくなれば容赦なく切り捨てる。父親が癌になった親友ですら、トーマスは距離を置いてしまうのだ。トーマスにとって友人といるメリットは「楽しさ」であり、それがなくなったからには利用価値がないと結論付けるのである。
しかし、トーマスは他人に共感しないからこそ相手を思うように操作する術を知っている。ひたすら相手の話に耳を澄ませ、弱みを握ることが彼女の人身掌握術の基本だ。自分から話をするのは、相手の話を引き出す意図があるときのみだという。慄きながらも、思わず参考にしてしまう読者もいるだろう。
一方でトーマスは、弁護士事務所を解雇されたり、株式投資で失敗したりするなどの挫折も味わっている。ソシオパスは情熱を継続することが難しく、衝動的に行動してしまうので成功するときも失敗するときも大きな結果しか招かないのだ。だが、これらの特徴は歴史的な政治家や企業家にも当てはまる部分が多い。人格破綻者とカリスマは紙一重というよりも、同義ではないのか。そして、社会は正体を明かしていないソシオパスであふれているのではないか。その証拠に、ソシオパスの実態を綴ったトーマスのブログには、多くのソシオパスを名乗る読者からコメントが寄せられている。
逆に、自らをソシオパスだと思い込んで生きている人間も少なくない。トーマスの経験上、ソシオパスを見抜く方法は「性的奔放さについて動揺しないかどうか」とのことだ。話し相手が自由気ままなセックスライフを話していても感情が動かされないなら、まずソシオパスと言っていいらしいので、気になる人は参考にしてみよう。
本書のあまりにも冷徹で自意識過剰な語り口に辟易させられる人もいるだろうが、ソシオパスの頭の中をのぞく体験をしたいのなら、強くおすすめしたい。
文=石塚就一