鈴木 杏「耳に声が直接入ってくる、同じ空間で人が生きている姿を見られる。その感覚は演劇ならではのもの」
公開日:2017/5/6
「母のお腹の中にいるときから、すでに私は吉本ばななさんの本に親しんでいたと思うんです」と、楽しそうに話す鈴木さん。今回お薦め本として選んでくれた『下北沢について』をはじめ、ばなな作品はずっと読み続けてきているという。
「母が、ばななさんと江國香織さんの作品が大好きで、家の棚にはお二人の本がいっぱい。いつしか私もそこから取り出しては読んできました。ばななさんの作品は、ちょっと疲れたなと思うと読みたくなる。目に見えないものとか、生きるためのヒントがたくさん詰まっていて。とくにエッセイは、読んだ人が生きやすくなるようにという祈りや願いが込められているようで、読むといつも励まされるんです」
5月に新国立劇場で上演される舞台『マリアの首―幻に長崎を想う曲―』にも、祈りや目に見えないものの力が作品の底を流れている。
「私が演じる鹿は、原爆によるケロイドを持つ女性。昼は看護師として、夜は娼婦として戦後の荒廃した世界を生きる彼女は、被爆によって破壊されたマリア像の首を求めることが生きる支えになっています。それを手に入れることで、何かが変わると信じているんです。手に入ったあと、彼女は何を支えにどうやって生きていくんだろうと。でも、生きていくのに必要なのは、目に見えるものだけではないですよね。私自身、人との出会いにしても、自分の意識にしても、すごく“運ばれている”感じがしています。そういうところからも、鹿の心に寄り添えるかなと思っています」
1959年、岸田演劇賞、芸術選奨文部大臣賞を受賞した『マリアの首~』は、戦争や被爆の体験を軸に人々のさまざまな思いを、詩的に哲学的に描いた田中千禾夫の名作。その表現形式から難解だと感じる人もいるかもしれない。
「たしかに回数的にはあまり上演されてこなかった作品です。けれど、私はもっと上演されていくべき戯曲だと思っています。戦争体験を語る方たちがだんだん少なくなっていくなか、ここで描かれているのはけっして忘れてはいけないことであるし、戦争を知らない世代であれば、少しでも知っておくべきことであるはず。私自身も本作を演じるために、戦争や長崎の歴史に向き合うきっかけをいただけたことで、そこにどういう人たち、どういう心があったのかを、今の自分と照らし合わせてみるということもできました。それは本当によかったと思っています」
10代のはじめから演劇を観ることに親しんできたという鈴木さん。舞台を観に行くことに躊躇いを感じている人のために、その魅力と楽しみ方を訊いてみた。
「いま発せられた声が直接、耳に入ってくる、同じ空間で人が生きている姿を見るという臨場感を得られるのは演劇ならではの最高の魅力だと思います。演劇って基本的にはいま舞台で起こっていることそのものを楽しめばいいんです。背景や言葉など、わからないことがあっても、そのあといくらでも調べることができるし、それがきっかけでまた違う芝居が観たくなるかもしれないですから」
わからなくたっていい、その空間を共有し、楽しむことが演劇を観る第一歩だという。
「解釈がわからなくても、きっとその人の中には残っていく。人それぞれ、その人にしか観ることのできない観方がある。演劇の観方に、正しいとか間違ってるとかはありません。その人が感じたことがすべて。だから、どんな舞台でもいいから、一度でいいから、その垣根を越えてみれば、次からはきっと劇場にも行きやすくなると思います」
(取材・文=河村道子 写真=下林彩子)
すずき・あん●1987年、東京都生まれ。96年にドラマ、2000年に映画デビュー。日本アカデミー賞など受賞歴多数。今年、舞台『イニシュマン島のビリー』『母と惑星について、および自転する女たちの記録』で読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞。出演作に、大河ドラマ『花燃ゆ』、映画『軽蔑』など多数。
ヘアメイク=宮本洋平
高校受験の帰り道、楽しそうな父と歩いた下北沢の商店街、友人の家に泊まりにいった時、シーナ&ロケッツのシーナさんと鮎川さんを見かけた住宅街─思い出の地に住むことになった著者が下北沢で出会った人、お店を通して見つけた幸せな生き方とは? 試練の時にこそ効く、19の癒しのエッセイが詰まっている。
舞台『マリアの首 ─幻に長崎を想う曲─』
作/田中千禾夫 演出/小川絵梨子 出演/鈴木 杏、伊勢佳世、峯村リエほか 5月10日(水)~28日(日)東京・新国立劇場 小劇場
●爆撃され、被爆した浦上天主堂の壊れたマリア像の残骸を秘密裏に拾い集める女たち。雪の夜、最後に残ったマリアの首を運ぼうと天主堂に集まったが……。日本近代演劇の礎となった名作を、30代の気鋭演出家に委ねたシリーズ「かさなる視点─日本戯曲の力─」の掉尾を飾る逸作。