【古谷経衡氏インタビュー】コンプレックスのこじらせ過ぎは要注意! 犯罪や社会の迷惑にもつながる“意識高い系”の抱える心の闇とは!?【前編】

社会

公開日:2017/5/11

「環境・社会問題に取り組んでいるオレ」「起業・ノマドワーカーなど、新しい働き方やライフスタイルを提案するワタシ」etc. 大義を掲げる自分に陶酔し、SNSなどを使った自己アピールには余念がない。しかし実際には、知識も行動も伴わない人たち──。そんな彼らはいつしか「意識高い系」と呼ばれるようになった。

 他人から認められたいという「承認欲求」ばかりが肥大し、行動が空回りする彼らの背景には、どんな心の闇があるのか? 『「意識高い系(文春新書)」の研究』(文藝春秋)の著者・古谷経衡氏に、「意識高い系」の人たちの実像について話を聞いた。

古谷経衡氏(以下、古谷):一般論を言えば新書の読者層は50代以上が多いそうですが、本書は明らかにそれよりも下の世代、つまり20、30代が中心で、紙版もさることながらお陰様でKindle版の売上がとりわけ高いと聞いております。20、30代は意識高い系が最も多いと思われる世代です。「俺、意識高い系かも」って思うような人にこそ、読んでもらいたいと思って書きましたので、その意味からも良かったなと思っています。

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──本書はどんな世代に読まれていますか?

古谷経衡氏(以下、古谷):一般論を言えば新書の読者層は50代以上が多いそうですが、本書は明らかにそれよりも下の世代、つまり20、30代が中心で、紙版もさることながらお陰様でKindle版の売上がとりわけ高いと聞いております。20、30代は意識高い系が最も多いと思われる世代です。「俺、意識高い系かも」って思うような人にこそ、読んでもらいたいと思って書きましたので、その意味からも良かったなと思っています。

──本書には、古谷さんが意識高い系だった頃の過去や、内面のドロドロした部分を赤裸々に明かしていますね。読者からの反応が気になったのでは?

古谷:2012年に常見陽平さんが著した『「意識高い系」という病(ベスト新書)』(ベストセラーズ)によって「意識高い系」という言葉が認知されて以来、僕の中にもその要素が強いことは気づいていました。常見さんの著書は、意識高い系とされる就活生を筆頭として類別したもの。なるほどと頷きましたが、なぜ「意識高い系」が発生するかの詳細な分析は弱いように感じていました。

 そこで本書では、自分の過去も振り返りながら、もっと幅広い年齢層に存在しうる意識高い系の人たちが抱えるコンプレックス、心の闇、行動の特徴、こじらせ過ぎるとどうなるか、などを分析研究してみようと思ったわけです。

 ですから僕のドロドロも隠さずに吐露しています。「そこが面白い」と言ってくれる読者がたくさんいるので、書いてよかったと思っていますよ。

──イメージダウンは気にならなかったのですか?

古谷:いやいや、逆です。僕に対して「キラキラしている」とか「リア充」とか、そんなイメージを持たれる方が万が一いるとすれば、そっちのほうがよほど間違いなので(笑)。特に「リア充」との対決では、思春期から今日に至るまで、負け続けの人生ですから。

──本書では、「意識高い系」が目標としているのは、本当の意味での「リア充」であると結論づけられており、「リア充」という言葉の解釈も再定義されていますね。

古谷:リア充に対しては、「異性からモテる人」「バーベキューやパーティーなどをよくやる社交的な人」などの解釈がなされ、意識高い系とごっちゃになっている人もいます。そこで本書では、この二者を明確に線引きするところから始めています。

 僕がこれまで出会って、敗北感や嫉妬を感じたリア充な人たちがどんな存在だったのか、なぜモテるのか、などを改めて考察してみたんです。その結果、たどり着いたのは、本当の意味でのリア充とは、「生まれ育った土地に地盤を築き、余裕・余力の中で生きている人」だと定義することでした。

 つまり換言するとこれは地元民、ジモティです。都心部に土地・家屋などの不動産を持つ親と暮らし、やがて政治家のようにその地盤を引き継ぐ(相続)家庭環境がある。そのため、将来に対する不安がないから精神的にも余裕がある。だから人間的にも優しくていい人が多い。加えて、容姿も端麗でアクティブな彼、彼女らであれば、当然モテますよね。

 地元という土地を触媒にして、悠久の時間の中で結合した人間関係も確立できているので、小、中、高でのスクールカーストも常に最上位にいる人気者です。大学で地元を離れたとしても、就職はもちろん地元へUターン。本書にも書きましたが、映画『木更津キャッツアイ』のバンビ(櫻井 翔・演)などがそうだし、「私、幼稚舎から慶應」なんていう人も「リア充」の典型ですね。つまり「リア充」とは、恋人がいるかどうかなどではなく、都心部の土地を上級の親族から相続している地元民、という風に再定義しています。

──そんな「リア充」と「意識高い系」の人たちのいちばんの差はどこにあるのですか?

古谷:就職先とか貧富、学歴差とかではなく、土地を基盤とした地盤があるかないかの差であり、加えて青春時代の原体験の中で「承認欲求」が満たされているかいないかの差です。これは大きな差です。リア充は自己アピールをしません。もう承認欲求は十分に満たされていますから。

 一方の意識高い系は、スクールカーストでも中階層以下と、いつも中途半端なところにいて、リア充たちがモテるその姿を、指をくわえて眺めるしかない。その結果、コンプレックスと「モテたい、チヤホヤされたい、認められたい」といった承認欲求は、溜まる一方です。僕は本書で意識高い系の定義を、「コンプレックスが故に他者への承認に飢えた卑小な自意識の怪物」としているのですが、そのため、痛いほどの自己アピールによって、なんとかそれを満たそうとする……。

──本書には、そうした「承認欲求」をこじらせ過ぎた「意識高い系」の人たちが引き起こした事件、社会迷惑の実例がいくつか「列伝」という章にまとめられています。

 本書には収録されていませんが、古谷さんの分析によれば、森友学園問題における安倍昭恵さんの行動にも、意識高い系が抱える問題が見え隠れするそうですね。そのあたりのお話をインタビュー後編でお聞かせください。

古谷:安倍昭恵夫人は「遅れてきた意識高い系」と定義しております。「意識高い系」の中でもちょっと変わり者の亜種という感じです。ぜひ、話させてください。

取材・文=未来 遥

(プロフィール)
ふるや・つねひら/1982年北海道札幌市生まれ。文筆家。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。テレビ出演多数のほか、ラジオコメンテーターなど。主著に『アメリカに喧嘩を売る国 フィリピン大統領 ロドリゴ・ドゥテルテの政治手腕』(ベストセラーズ)、『草食系のための対米自立論』(小学館)、『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』(コアマガジン)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『インターネットは永遠にリアル社会を超えられない』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『欲望のススメ』(ベストセラーズ)、『若者は本当に右傾化しているのか』(アスペクト)など多数。