アノ映画が触れてしまった、猟奇殺人犯の闇

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更新日:2017/6/12

『検索禁止(新潮新書)』(長江俊和/新潮社)

 インターネットではありとあらゆる情報が入手できる。それでも好き好んでグロテスクな画像や恐怖のエピソードを知りたがる人は少数派だろう。しかし、それ以外の人でも「見ないでください」と言われると、なぜか見たくなるのはどうしてなのだろうか…? タブー(禁忌)扱いされている情報ほど思わずクリックしてしまい、案の定、「見なければよかった」と後悔してしまうものなのだ。

 『放送禁止』『出版禁止』といったフィクション作品でタブーを題材にしてきた長江俊和氏が放つ初の新書が『検索禁止』(新潮社)である。有名作品にまつわる闇から、タブーと著者の関係まで、戦慄のエピソードが満載である。中には読んだ自分を恨むようなおぞましい内容もあるので、ホラーが苦手な人はこの記事も読まないほうが賢明かもしれない…。

 90年代、放送作家として数多くのドキュメンタリーに関わってきた著者は、カルト教団や大家族の取材を通してとても「放送できるはずなどない」事件を目撃していく。こうした経験はやがて、フェイクドキュメンタリーの手法を採用し、生々しく恐怖を描いた『放送禁止』のような番組に反映されていく。『SMAP×SMAP』で香取慎吾が女子高生を人質に立て篭もった様子をドキュメンタリータッチで描いた回が話題になったが、その演出もまた著者によるものだった。

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 どうして著者はフィクションの中にリアルを混ぜて、視聴者や読者がタブーに触れているような感覚に誘うのだろうか? そこには著者の創作論が反映されている。

名作と呼ばれる物語や作品の中に、完全なるフィクションは存在しない。そこには「実在」する禁忌が巧妙に隠されている。

 ドキュメンタリストとして、「放送できるはずなどない」もの=タブーの衝撃を知ったからこそ、著者はタブーを作品に込めるのである。禁じれば禁じるほど見たくなる心理を著者は「カリギュラ効果」と説明する。人々の関心を惹きつけるためにあえて「時間のない人は絶対に見ないでください」と否定的な文言を打つ広告もカリギュラ効果を狙っているといえるだろう。

 そんなタブーの第一人者である著者だけに、本書で紹介されるタブーの数々もパンチが効いたものばかりだ。検索禁止ワードとして、「カシマさん」「くねくね」「コトリバコ」などの都市伝説も紹介される。「くねくね」とは、くねくねと動く白い服の人間にまつわる話だ。「くねくね」は突然遠くに現れ、性別も顔も分からない。しかし、正体に気づいてしまうと、そのまま気が狂ってしまうという。「くねくね」に象徴されるように、都市伝説の多くは直接的な恐怖を纏っているのではない。「気が狂ってしまうほどの真実とは何だろう?」と深くタブーを探ろうとするほど、恐怖がじわじわと押し寄せてくるのである。

 『エクソシスト』『サイコ』『リング』といった映画の数々が、実話を基にして、タブーに触れているという情報も作品の恐怖をより倍増させる。たとえば、『サイコ』の犯人、ノーマン・ベイツと実在のシリアルキラー、エド・ゲインの関係である。ベイツのモデルがゲインなのは比較的有名な話だ。ゲインは母親の抑圧によって人格が歪み、女性の死体から剥いだ皮をまとう変態だった。ベイツも殺人に及ぶときは女装する癖がある。しかし、『サイコ』の原作が書かれたのはゲイン逮捕の直後で、全貌が明るみに出る前だったとはあまり知られていない。つまり、原作者はゲインの生い立ちを想像するうち、意図せずしてゲインのタブーをベイツに反映させてしまったのだ。

 他にも、いつの間にかマスコミからなかったことにされてしまった、稲垣吾郎の「隠し妻」や、農村地帯で近代まで続いていた隷属制度「おじろくおばさ」など、この世界はタブーで満ちている。本書は人間をとらえて離さないタブーの魔力を解説してくれている。

文=石塚就一