神社でお願い事の前に鈴を鳴らす本当の目的は? 知っているようで知らない神社の秘密
公開日:2017/5/25
日本には、多くの神社がある。正月などには多くの人が集まる神社だが、さて私達はその神社についてどれくらい知っているのだろう? 例えば、神社に行った時に手水舎で手を清める意味を始め、お参りの時に鈴を鳴らす理由や鳥居の起源などをあなたはきちんと説明できるだろうか。そんな知っているようで知らない神社のことを教えてくれるのは『日本人が知らない 神社の秘密』(火田博文/彩図社)である。
神社に行くと、手水舎で手を清める――これは多くの人が慣習的に行うことだろう。その理由については「汚れた体でお参りするのは神様に失礼だから」という人も居る。これが正解だ。手水舎で手を清めるという作業は元はみそぎといい、滝に打たれたり海や川に身を浸したりして行うものだった。その起源は古く、神代まで遡ることができる。日本神話で国作りを行った伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)はご存じだろうか。この2柱のうち、伊弉冉尊が死んでしまい、夫の伊弉諾尊は妻に会うため黄泉の国へ行く。その後紆余曲折あって結局妻を連れ戻すことはできず、黄泉の国から戻った伊弉諾尊は死の国の穢れを落とすために川の水で心身を清めたという。つまり、手水舎で手を清めることは現代流に簡略化されたみそぎであり、その目的は神と会うに相応しい状態になるため、俗世の穢れを落とすことなのだ。また、今では忙しない日常に即して簡略化されたみそぎだが、今でも古式のみそぎを続けている神社もある。三重県の伊勢神宮がそれだ。この神社の内宮の入り口には五十鈴川という川が流れており、参拝前にはこの川で手や口を洗うことが習わしとなっている。これは2000年以上も続くスタイルなのだ。つまり、手水舎で手や口を清めることはみそぎであり、心身の穢れを祓い落とす目的があるということだ。言うなれば、人様のお宅に上がる前に埃や汚れを落とすための行為であり、相手への配慮と礼儀を示すためのものなのだ。そのため、本書曰くこれを怠ったら祟られても文句は言えないそう。神様への礼儀でもあるので、しっかり行った方が良いだろう。
手を清めて、拝殿の前に立ったらお願い事の前に鈴を鳴らすだろう。では、その鈴を鳴らす意味とは何だろうか。例えば「鈴を鳴らすのは神様に自分が来たことを教える合図」だというのがおそらく比較的よくされる説明だろう。確かにその意味もあるかもしれないが、そもそもは鈴を鳴らすことで悪を祓い、魔を滅するのが目的だとされる。なぜなら、鈴の音の清涼な響きには魔除けの力があると考えられていたからだ。そして、神様はこの魔除けの力がある鈴の音の響きを殊更好むとも言われている。つまり、鈴を鳴らすということは、魔を祓い、同時に神様を喜ばせ自分のところに来てもらうための行為なのだ。ちなみに、神社で買えるお守りなどには鈴が付いているものが多いが、これも鈴に霊力があると考えられているからだ。また、鈴を括りつけている紐は鈴緒(すずのお)といい、ここで言う緒とはへその緒などの緒で、見えないもの同士を繋ぐ役目を持っている。これは人間と神様の縁を鈴を介して結んでくれる大事なアイテムなのだ。鈴を鳴らすと神様が喜んでくれるというのなら、ぜひとも思いっきり鳴らしたいものである。
鳥居と言えば、どんなに小さい神社にも必ずと言って良いほど設えられている。また、神社の地図記号にもなっているこれは、ある意味神社の象徴とも言えるかもしれない。そんな鳥居だが、その起源は諸説にわかれ、はっきりわかっていない。一説には、読んで字のごとく「鳥が居る」から鳥居というらしい。その説によると、古代の日本では、鳥は神の使いとして神聖視されており、その鳥が止まる止まり木を鳥居と呼んだそうだ。また、有名な天岩戸神話において、岩戸の中の天照大神(アマテラスオオミカミ)を誘い出すための長鳴き鳥(ニワトリ)を止まらせるために立てられた木が鳥居の起源であるという説もある。そんな鳥居は、そもそもは神社の内部と外部をわける結界の役割を果たしている。つまり、鳥居は「ここから先は神様の領域です」という目印なのだ。よく神社の参拝マナーで「鳥居をくぐる時はお辞儀をすること」と言われるが、これは神様の領域に入るから「お邪魔します」という意味が込められているのだ。鳥居、手水舎、鈴を鳴らす……神社のルールとその意味を知っていれば、より神様と近しくなり、ご利益を受けられるようになる……かもしれない。
文=柚兎