謎の窃盗団〈アノニム〉が幻の名画を救う!? 現代アートをめぐる痛快エンターテインメント【原田マハインタビュー】
公開日:2017/6/6
カンヴァスを床に置き、俯瞰しながら絵具を絵筆からしたたらせる。縦横無尽に色彩をまき散らし、動きの軌跡をそのまま絵にとどめる──。ジャクソン・ポロックは、そんな「アクション・ペインティング」でアートに革命を起こした抽象表現主義の旗手。中でも有名なのが、ニューヨーク近代美術館所蔵の「Number 1A」、オークションで2億ドル(!)もの値が付いた「Number 17A」をはじめとする大画面の作品群だ。そのナンバリングシリーズに、もしも未発表の大作「ナンバー・ゼロ」があったとしたら? そして、その絵が狂気のコレクターに狙われていたら……?
原田マハ
はらだ・まは●1962年、東京都生まれ。森美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館勤務を経て、フリーのキュレーターとして独立。2005年、『カフーを待ちわびて』で作家デビュー。12年、『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞を受賞しベストセラーに。他に『暗幕のゲルニカ』『サロメ』など著書多数。
原田マハさんの新作『アノニム』は、アート愛と奇想が躍動する極上のエンターテインメント小説。義賊のような怪盗集団〈アノニム〉が、非道なコレクターから幻の傑作を守るさまを痛快に描き出している。
「これまで書いたアート小説は、史実が10%、フィクションが90%という割合でした。でも、今回は100%フィクション。その中に、史実が散りばめられているようなスタイルに挑戦しています。それと同時に、アート版『ルパン三世』のようなスリリングなアドベンチャーを書きたいという思いもありました。というのも、世界中には盗まれた絵画や美術品が何十万点もあるらしいんですね。しかも、一度失われたアートが再び出てくる可能性は極めて低いそうです。盗品は闇マーケットに流れることもありますが、足がつきそうになると破棄されるケースもあるとか。たとえそれがフェルメールの名画だったとしても、危険だと判断されれば闇に葬られ、永遠に失われてしまうんです。そう知った時、悶絶するような焦燥感に駆られました。私には、盗品を救い出す力なんてありません。でも、せめて小説の中では盗まれた名画を取り戻したい。そこで、盗難にあった美術品を盗み返す義賊のようなグループを、作中に登場させようと思ったんです。作品を盗み返すことで社会的な意義を果たす人たちがいたらかっこいいじゃないですか。そんな思いから生まれたのが〈アノニム〉です」
IT長者であり世界で十指に入るアートコレクターのジェットをボスとする〈アノニム〉のメンバーは、気鋭の建築家ミリ、ブルックリンでギャラリーを経営する美女ヤミー、フランス貴族の末裔オブリージュ、花形オークショニア(競売人)のネゴ、天才エンジニアのオーサム、美術品修復家のネバネス、美術史家でありトルコ絨毯店経営者のエポックの7名。これまでの原田作品とは趣を異にし、どの登場人物もキャラクター性が際立っている。頭文字を並べると、〈アノニムanonyme〉(作者不詳の意)になる仕掛けもユニークだ。
「100%フィクションなので、キャラクター性を思いきり強くしました。執筆中は、自分が監督になって彼らをカメラで追いかけているような感覚でした。アクションシーンはありませんが、次々に切り替わるカメラワークを意識したので、スピード感は出たかなと思っています」
確かに、文字を追っていると映像がまざまざと脳裏に浮かぶ。中でも臨場感あふれるのが、オークションのシーンだ。ポロックの未発表作品が出品されると、オークショニアのネゴが巧みに場をさばき、〈アノニム〉のオブリージュが値段を釣り上げる。すると、闇のコレクターがさらに高値を付ける。そこへ〈アノニム〉第二の刺客ヤミーが参戦し、思いがけない高値でビッド! 息をのむような応酬に、ページをめくる手が止まらない。
「執筆にあたり、サザビーズ香港のオークションに参加してきたんです。もちろんビッドはしませんでしたけれどね(笑)。あのシーンは、実際に体験しないと絶対に書けません。ギリギリの心理戦はこの作品の見せ場ですし、私自身もドキドキしながら書きました」
アートには世界を変える力がある
作中では、もうひとり〈アノニム〉の計画で重要な役割を果たす人物が登場する。それは、香港で暮らす高校生・張英才。自らを天才アーティストだと信じてやまない彼は、ある時〈アノニム〉からのメッセージを受け取る。「アートで世界を変えてみないか?」。民主化デモに揺れる香港で、そのひと言は彼を衝き動かすトリガーとなる。
「サザビーズ香港の取材に訪れた際、現地では学生運動が巻き起こり、世の中が大きく変わりゆく胎動を感じました。私には政治的なアクティビティはありませんが、こうした動きを書き残すのも小説家の使命です。小説には当時の世相が盛り込まれています。シェイクスピアを読めば同時代のことがわかるし、源氏物語を読めば平安の王朝時代のことがわかります。それは、アートでも同じこと。レンブラントの『夜警』を見れば、17世紀のオランダの社会情勢、風俗がわかります。小説もアートも時代の証言者。その時代をパッケージングできる優れたメディアという点で、アートと小説は共通しているんです」
ポロックの作品にも時代の空気が凝縮されている。1912年に生まれたポロックは学生時代にメキシコ壁画運動を目の当たりにし、多大な影響を受ける。
「1920年代、アメリカではニューディール政策としてアートにも資金を投下しようという動きがありました。ちょうどその頃、メキシコ革命が起こりつつあり、革新的なアーティストが街なかに壁画を展示したんです。文字が読めない人にもわかるよう、壁画で民心を鼓舞しようとしたわけですね。彼らはアメリカに呼ばれ、学生たちに壁画を教えました。その際、手伝いをしたのがポロックです。彼をはじめ、同時代の抽象表現主義のアーティストたちは、みな巨大な壁画のインパクトに圧倒されました。さらに言えば、ピカソもこの運動の影響を受けています。メキシコ壁画運動から始まったものが、ピカソの『ゲルニカ』を経由して、ポロックをはじめとする抽象表現主義、その後のポストモダンの大画面化にもつながっているんです。ね、面白いでしょう?」
その後、第二次世界大戦を経て、ポロックの「アクション・ペインティング」は脚光を浴びることとなる。
「彼は、ピカソという巨人の影響下からなんとか逃げようと苦悩していました。今回、現代アートをピックアップし、アーティストの葛藤、新たな表現を生み出すまでの道のりを描くにあたって、ポロックは非常に優れたアイコンでした。ひと言でいえば革新者ですね」
そんなポロックもまた、若きアーティストたちに影響を与え続けている。そのひとりが、香港の高校生・張英才だ。
「メキシコ壁画運動、ピカソ、ポロックと受け継がれた大画面のインパクトは、香港の片隅に暮らす高校生にも影響を及ぼします。時代がめぐり、国が変わっても、アートが人にもたらす影響力は当時と変わらぬ強さで働きかける。それがアートのすごいところです」
アートには世界を変える力がある。変えられると信じること、そして行動を起こすことが大切。作中でも、そんな力強いメッセージが繰り返し語られている。
「人類は、これまで私たちの想像を絶するようなクライシスに直面してきました。それでも、長い歴史の中で人類がアートを忘れたことは一度もありませんでした。だからこそ、何万年も前のアートが今も受け継がれているんです。その現実に、私はいつも励まされています。そんなアートを守ること、世界を変える力を秘めたアートを救うことが〈アノニム〉のミッションなんです」
本書を入り口にポロックの鑑賞体験を
実は本書、エピソード1と銘打たれている。となれば、今後の続刊にも期待せずにいられない。
「未定ではありますが、各エピソードで〈アノニム〉のメンバーそれぞれにスポットを当て、息の長い話にしていきたいですね。『アノニム』をベースに、マンガなどを自由に発想してくださる若いクリエイターが登場してくれたらうれしいな、なんて妄想もしています。ボーイズラブにしてもらってもかまいませんよ(笑)」
本書を読んで、ポロックの作品を見てみたいと思う人も多いだろう。そんな読者に向けて、「ポロック鑑賞術」をうかがった。
「日本国内にも、国立西洋美術館や大原美術館など、ポロックの作品を所蔵している美術館があります。大画面の迫力を感じていただくなら、ニューヨーク近代美術館、テートモダンなど海外にどんどん見に行ってください。『現代アートは難しそう』と思うかもしれませんが、理解する必要はありません。現代アートは空間も含めて作品になっていることが多いので、美術館やギャラリーに行く体験そのものがアートの一部なんです。とにかく体験するのが大事。『わざわざニューヨークまで行った!』ということでポロックとの一体感も生まれ、必ず満足するはず。それは私が保証します」
取材・文=野本由起 写真=高橋しのの