なぜ「PTA」の問題は解決しないのか? 「戦前への回帰」が危惧されるPTAを国家視点で捉えてみると…
公開日:2017/6/1
PTAの存在意義が疑問視されている。「ボランティア活動のはずなのに義務的責任を負わされるのは、なぜ」「そもそもPTAに加入した覚えはない」など、さまざまな反発の声が各地で起こっている。
なぜ、PTAの諸問題は解決しないのか。国家視点でPTAの存在を捉え考察している『PTAという国家装置』(岩竹美加子/青弓社)は、今、日本の「戦前への回帰」が危惧されるなかで、PTAという組織の危うさを訴える。
PTA(本書は公立小学校PTAについて論じている)は、社会教育組織としても地域組織としても、日本最大の規模を持つ。それほどの巨大な存在であるにもかかわらず、「見えにくい」組織だ。つまり、PTAは学校や地域に対して従属的に位置づけられていて、外部から「見えにくい」のが一つめ、そして、PTA会員の側からはPTAが国家組織であることと、その巨大な組織の末端であることが「見えにくい」のが二つめ。
PTAは誰からも「見えにくい」のに、圧倒的な力を持つ。
PTAは一般的に戦後GHQのもとで発足した組織とされるが、本書によるとそこでもたらされたのはただの〈名前〉であり、内実は1920年ごろに文部省によって創設された「母の会」との連続性が高い、という。「母の会」は社会教育組織の一つであった。
今日のPTAは、その存在を維持しようとする力が何なのかは隠されたまま、大きな抵抗力を生じさせることなく、会員がその枠組みのなかで示された方向に動く訓練を受ける場となっている可能性がある、と本書は考える。
戦後の「平和主義」から戦争ができる国へと変貌しつつある日本。本書は、とてつもなく規模が大きく、しかし「見えにくい」PTAという組織が、国家の望む方向に動員されることを恐れている。
文=ルートつつみ