美輪明宏16歳での“サロン”デビュー。三島由紀夫、江戸川乱歩から桑田佳祐まで、天才達によって彩色された「美輪明宏の人生絵巻」がスゴ過ぎる!!
更新日:2017/6/14
「とうちゃんのためなら エーンヤコラ かあちゃんのためなら エーンヤコラ もひとつ おまけに エーンヤコ~ラァ」──2012年の大みそかの夜、身振りと抑揚をつけた迫真のセリフで始まった、美輪明宏氏の作詞・作曲・歌唱による「ヨイトマケの唄」。披露した「第63回NHK紅白歌合戦」の放送が終わると、異口同音に「魂を揺さぶられた」と、ネットに書き込みが溢れた。
そんな希代(きたい)のソウルアーティスト・美輪明宏が誕生するまでの、昭和から平成にかけた足跡を綴る、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」 天才たちはいかにして出会ったのか』(佐藤剛/文藝春秋)。美輪明宏さんは本書にこう祝辞を寄せた。
歴史に残る天才達によって彩色された果報な私の人生絵巻が、愛満載に描かれていて、今更ながら有難さが身に沁みる。
美輪明宏氏が語られるとき、歌手・役者人生のスタートを「1952年、当時17歳で銀座のシャンソン喫茶『銀巴里』デビュー」に置かれることが多い。しかし本書を読むと、それはじつは正確ではないことが明白になる。丸山臣吾(後の美輪明宏)の人生は、1951年に16歳の時にアルバイトを始めた、「銀座ブランスウィック」という喫茶店で運命づけられていたのである。
この店、喫茶店は表向きであり、実態はゲイバー、ハッテンバだ。しかも場所は銀座のど真ん中。歌舞伎座も近く、客層は歌舞伎、文芸、映画、芸能から政界関係者など、多士済々である。今なら格好の文春砲のターゲットとなりそうな店だが、当時は無防備でオープン。日本アングラ史の一面を担う一方で、洒落た異業種交流サロンでもあった。
集う客の中に、作家の江戸川乱歩や三島由紀夫がいた。この2人との出会いはまさに、運命そのものだ。17年後の役者としての出世作、演劇『黒蜥蜴』(原作・江戸川乱歩、戯曲・三島由紀夫)へと繋がり、三島由紀夫はこの時以来、生涯、美輪明宏の人生を支えた。その信頼関係がどれほど濃密なものだったかは、本書で微に入り、細に入り記されている。
本書には他にも、美輪明宏氏の妖艶さと優雅さ、そして愛に満ちた魂に吸い寄せられた、多くの天才たちが登場する。後追い自殺まで考えた恋人の赤木圭一郎、編曲者として日本初のシンガーソングライター美輪明宏を世にリリースした中村八大、役者人生を彩った寺山修司、さらには「ヨイトマケの唄」の根底にある「純・日本の歌を届けたい」というソウルを引き継ぐ、桑田佳祐をはじめとする現代のシンガーソングライターたち。
こうした天才たちをことごとく虜にした魅力はどこにあったのか? 筆者はその源泉を、16歳の丸山少年が江戸川乱歩と銀座のサロンで交わした、こんなやりとりの中に見た気がした。
丸山「(乱歩小説の主人公の探偵)明智小五郎ってどんな人なの?」
乱歩「(腕を指して)ここを切ったら、青い血が出るような人だよ」
丸山「ワアー、素敵じゃない!」
乱歩「へェー、君はそんなことがわかるの?」
丸山「だって素敵じゃない、知的で。私、情念に振り回されるような人は大っ嫌い!」
乱歩「君、面白い子だね。じゃあ、君は腕を切ったらどんな血の色が出るんだい?」
丸山「七色の血が出ますよ」
(中略)
乱歩「きみ、いくつだい?」
丸山「十六です」
乱歩「十六でそのセリフかい、おもしろい子だねえ」
さて、あなたはどうだろうか? 本書は、美輪明宏氏を軸としつつも、昭和から平成にかけての日本の文化・エンタメ・アングラ史の重要なトッピクスを集約させた大作でもある。本書と共に時代を振り返り、駆け抜けながら、「シスターボーイ」と称された人物の魅力の真髄を探る旅に出てみてほしい。
文=町田光