「加害者の違い」が報道の差を生む対テロ戦争の現実。二人のイスラム少女の訴えから学ぶ平和に必要なものとは?

社会

公開日:2017/6/16

『ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女』(宮田 律/講談社)

 2014年、パキスタン人の少女、マララ・ユースフザイさんが史上最年少でノーベル平和賞を受賞し、大きな話題となった。彼女は2009年、BBC(英国放送協会)運営のブログに「パキスタン女子学生の日記」を投稿、タリバンを怖れて学校に通えない少女たちの本音を世界に発信していた。日記は大反響を呼んだが、そのせいで彼女はTTP(パキスタン・タリバン運動)から襲撃されてしまう。だが、重傷から回復した後もマララさんは女子教育のために活動を続けた。ノーベル賞は彼女の強い意志と活動を評価してのものだった。

 しかし、マララさんと同じくパキスタン人で、対テロ戦争の被害に遭いながら世界に教育の重要性を訴えかけているにもかかわらず、黙殺されかけた少女がいる。『ナビラとマララ 「対テロ戦争」に巻き込まれた二人の少女』(宮田 律/講談社)は2人の少女の違いを比較しながら、人々の対テロ戦争への見方を変えようとする一冊だ。

 ナビラ・レフマンさんは2012年10月、畑でオクラを摘んでいるときにアメリカのドローンによる爆撃を受けた。武装勢力と間違われての誤爆だった。一緒にいた祖母は死に、自身も傷を負った。ナビラさんはアメリカ議会で自らの被害を公表し、ドローン爆撃を止めるよう訴えることとなった。しかし、公聴会に出席したのは435人の下院議員のうち、たった5人。公聴会自体もほとんど報道されず、世界から注目されることはなかった。マララさんは2013年にホワイトハウスを訪問し、手厚い歓迎を受けてオバマ大統領と面会したにもかかわらず。

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 ナビラさんの主張はマララさんと変わらない。先進国が戦争に使う大金を教育に回せば、世界は平和になるという考えだ。テロリストの多くは貧しい家庭でまともな教育を受けずに育った経歴があり、2人の訴えは非常に筋が通っている。ならどうして、ナビラさんとマララさんでこんなにも報道の違いが生まれてしまったのか。

 それは2人を襲った「加害者」が違ったからである。本書の著者であり、現代イスラム研究センター理事長の宮田律さんはこう解説する。

マララさんを銃で撃ったのがアメリカの敵であるTTPであるのに対し、ナビラさんたちにミサイルを発射したのはアメリカのCIA(アメリカ中央情報局)でした。アメリカにしてみれば、ナビラさんの声に耳を傾けるということは、無実の人たちに対してミサイルを発射した、自分たちの過ちを認めることになります。

 被害者ではなく、加害者で報道の度合いが決まってしまう現実。そして、本書ではどうして対テロ戦争がここまで泥沼化するに至ったのかを、イスラムの成り立ちから現在まで分かりやすく解説してくれる。「聖戦」という意味でテロリストが使用する「ジハード」という単語が本来は「信仰の道において、よいことをするための努力」という意味だとは驚きだった。ナビラさんやマララさんの祖国、パキスタンは東日本大震災のときも積極的に支援物資を送ってくれるなど、日本とも縁がある。その優しさはイスラム本来の慈しみに支えられていたのだ。

 また、「イスラムでは男性が女性の社会進出や教育を拒んでいる」との世界に蔓延した認識も正しくないという。イスラムの教えを歪んで解釈したテロリストからの弾圧を怖れて、女性は家を出ないようになっているのが現状だ。宮田さんの文章を通して、いかに我々がイスラム世界を誤ったフィルターで見ていたかが分かってくる。

 宮田さんは2015年、「イスラムの女子教育支援」というシンポジウムを開催、ナビラさんを日本に招待する。ナビラさんは大勢の参加者たちに平和と教育の重要性を訴えた。

なぜ戦争をするのですか?なぜ教育のことを考えないのですか?なぜたくさんのお金を戦争に使って教育に使わないのですか?戦争で何が解決できるのですか?

 アメリカではトランプ大統領が就任し、世界中でますますイスラム世界への敵対心が強まっていくとも考えられる。「共謀罪」法案に揺らぐ日本も蚊帳の外ではない。しかし、誤った価値観で他者と接していても争いはなくならないのではないか。我々もまた、学ぶ必要がある。本書が多くの読者の、イスラム世界に対する意識を変えるきっかけになればと願う。

文=石塚就一