TBS系『世界ふしぎ発見!』発、驚愕の雑学知識! 意外と知らない、トルコが“親日国”になったワケ
公開日:2017/7/1
TBSテレビで1986年に放送が始まった『世界ふしぎ発見!』は、ミステリーハンターが世界の街や遺跡、秘境などをめぐり、そこに隠されたさまざまな謎に迫る教養クイズバラエティ。これまでに番組が訪問した国と地域は170を超えるが、放送開始30周年を期に刊行された『世界ふしぎ発見! 大人の謎解き雑学』(KADOKAWA)は、番組が近年放送した内容の中から際立った題材のみを厳選、最新情報も加えながら解説している、番組ファン・雑学ファン必読の一冊だ。
今回の記事では、アジアとヨーロッパにまたがり、古くから“新日国”として知られる「トルコ共和国」と日本との深いつながりを紹介し、そもそもなぜトルコが親日なのかをひも解いていこう。
サダム・フセインから200人の日本人を守った!
イラン・イラク戦争は、1980年のイラクによるイラン侵略を発端に、8年間にもわたって続いた戦争である。この戦争のさなかの1985年3月17日、イラク大統領サダム・フセインはイランの首都テヘランを空爆し、「2日間の猶予後、イランの上空を飛ぶ航空機を無差別に攻撃する」と世界に向けて発信した。
テヘランには、当時200人ほどの日本人駐在員が残っていたが、日本からは民間機の乗り入れはなかった。そのため日本政府はすばやく決定を下せず、あわててテヘラン・メヘラバード国際空港に向かった日本人たちは、まさにパニックに陥った。
ただ時間だけが過ぎていき、日本人たちが「もうダメか…」と途方に暮れていたそのとき、2機の旅客機がテヘラン・メヘラバード国際空港に到着した。トルコ政府が派遣したトルコ航空の旅客機であった。
驚くべきことに、トルコ政府は自国民よりも日本人を優先して搭乗させ、タイムリミットである1時間15分前に、2機の旅客機はトルコ(アンカラ経由イスタンブール行き)に向けて飛び立ったのである。
トルコはなぜ、ここまでして日本人を救ってくれたのか。そのきっかけが、かつて起きた「ある出来事」にあったことは意外に知られていない。
救出劇の裏にあった、日本・トルコ友情秘話
1889年7月14日、明治天皇に皇帝の親書を届けるため、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号がイスタンブールを出港した。
そして11カ月間の航海を経たのち、1890年6月7日に横浜港に到着。明治天皇と無事に会見して目的を果たすと、エルトゥールル号は帰路についた。
しかし9月16日のこと。紀伊半島南端の和歌山県串本町沖で台風に遭遇し、エルトゥールル号は岩場に座礁してしまう。船は大破し、600人もの乗組員が海に投げ出された。
そのとき嵐の中、乗組員を懸命に救助したのが、紀伊大島の島民だった。島民たちは血まみれとなったエルトゥールル号の乗組員を手当てし、衣服や食料を分け与えたという。迅速な救助活動の甲斐あって、このとき69人の命が救われた。
エルトゥールル号の沈没からおよそ1カ月後、乗組員は日本全国から寄せられた義援金とともに、日本の軍艦「比叡」と「金剛」でトルコまで送り届けられた。金剛の日本人乗組員の手記によると、「事情が事情であるだけに国を挙げての歓待ぶりで、あたかも国賓同様であった」という。
こうして、エルトゥールル号遭難事件は、日本とトルコを結ぶ友好関係の始まりとなった。そしてトルコの人々は、その恩を決して忘れることはなかった。
イラン・イラク戦争でのトルコ航空機による日本人救出劇は、95年も前、エルトゥールル号の乗組員が日本人に助けられたことに対する“恩返し”だったのである。
日本とトルコは、これからも強い友情で結ばれ続けていくに違いない。
文責=色川賢也
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