平和に見える中学校に隠された秘密…生徒に必要なのは「かりそめの平和」か「リアルな困難」か? 薬丸岳著『ガーディアン』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/12

『ガーディアン』(薬丸 岳/講談社)

学校が集団生活である以上、生徒間のトラブルはつきものだ。いじめや暴力を完璧に防ぐ方法はありえないだろう。もちろん、多くの教師が対策を練っているのは間違いないが、全ての生徒の悩みを知ることなどできない。そして、被害者となった生徒たちの絶望を煽ってしまう。

『ガーディアン』(薬丸 岳/講談社)は教師たちに見切りをつけた生徒たちが「ガーディアン」なる自警団を結成し、学校に平和をもたらそうとする物語だ。荒唐無稽なアイディアのようだが、読み進めるうちに、学校教育では及ばない問題の解決策として、ガーディアンは理にかなっているように思えてくる。たとえ、それが大人の読者に複雑な余韻を残すことになろうとも。

英語教師・秋葉吾郎が新しく赴任してきた中学校は、一見、穏やかな空気が流れていた。校則は緩く、生徒たちの自主性に委ねられた学校運営がなされている。何より、いじめや不良が見当たらない。秋葉の赴任前には素行の悪い生徒たちが数多くの問題を引き起こしていたらしいが、現在では嘘のように校内は平和だった。

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しかし、その陰には生徒たちによる自警団「ガーディアン」の存在があった。ガーディアンが管理するLINEグループには全校生徒の大半が登録しており、いじめなどの問題が発生すると、即座に助けを求めるメッセージが送られる。すると、加害者は他の生徒から集団で無視をされたり、弱みをネタに恐喝されたりして校内に居場所をなくしてしまう。学校一の問題児だった八巻もそうやって登校拒否に追い込まれた。不穏分子には早急に「制裁」を下すことで、校内には「かりそめの平和」がもたらされていたのだ。

ガーディアンの中心メンバーが誰なのか、知る者はいない。また、教師や親にガーディアンについて口外するのも禁じられている。ただ、ガーディアンは同じ学校の生徒によって構成されているとだけ判明している。そう、ガーディアンとは大人に絶望した生徒たちによる、最後の希望なのだ。

ガーディアンの存在に気付いた秋葉は、手段を選ばないやり口に反感を持つ。確かにガーディアンの「制裁」は容赦なく、秘密を守るために罪のない生徒を見せしめに「制裁」することも厭わない。だが、ガーディアンの手段は教師にはできないとも認めざるをえない。たとえば、いじめに遭ったとしても、被害が酷くなることを恐れて多くの生徒が教師には相談してこないだろう。相談したとしても、教師がガーディアンのような強硬手段でいじめを止めさせることは無理だ。秋葉は教師のプライドと無力感の間で葛藤する。

ガーディアンの「制裁」は生徒を守れない教師にも及ぶ。体罰や行き過ぎた生徒指導を行ってきたサッカー部顧問や、ことなかれ主義でいじめを防げなかった教師もことごとく教師の威厳を奪われていく。やがて、ガーディアンの真実に迫りつつあった秋葉にも「制裁」が下る。逆境の中、秋葉はガーディアン結成のきっかけになったと思われる2つの事件へと辿り着く。1つは小児がんを患い死んでしまった女子生徒、三宅の不登校。そして三宅の親友でサッカー部のエースだった松本の素行不良。果たして秋葉はガーディアンの正体を知ることができるのか? そして、仮に正体を知ったとしてもガーディアンを止めることはできるのだろうか?

秋葉の教育者としての根底には、生徒を守るだけでは成長を促せないというポリシーがある。

今目の前にいる生徒を守ることだけではなく、その生徒が将来の困難に打ち勝てるように見守っていくことも、教師の仕事だとわたしは思っています

社会や職場では学校生活以上の困難が待ち受けているかもしれない。学校生活でリアルな困難に直面するからこそ、生徒は人間的に成長できる側面もある。しかし、今苦しんでいる生徒たちにそんな理屈がどれだけ響くかは分からない。本作は生徒を「見守る」秋葉と、生徒を「守る」ガーディアンのぶつかり合いを通して、教育の在り方を問い直しているのである。

文=石塚就一