全国の渡辺姓のルーツ? 番地は右廻り蛇行式? 日本の住所には不思議がいっぱい!
公開日:2017/7/19
「下京区西洞院通塩小路上る東塩小路町」は京都の住所だ。お住まいの方には当たり前の住所なのだろうが、よそ者にとっては漢字がとても多い字面だ。では今度は「中央区久太郎町四丁目渡辺」。これは大阪の住所で、番地の後に漢字の語句が入るという変わった住所だ。
『番地の謎』(今尾恵介/光文社)は、日本の住所の不思議を解き明かした雑学本。帯には「なぜ住所を頼りに目的地にたどり着けないのか?」という、思わずあいづちを打ってしまう文句が書かれている。本書から、日本の住所表示の成り立ちを学び、徒歩移動の密かな楽しみを見出したい。
まずは、ポピュラーな(と思われる)「○○番地○○」という表記に見られる番地の謎を解き明かそう。○○で表したところには、数字が入るのだが、これは「地番」と呼ぶそうで、その誕生は、明治の地租改正にさかのぼる。その目的は「課税や不動産登記のための土地の符号」とあるので、住んでいる人をそっちのけに、おかみが登記上振った番号ということになる。そのため、次のような問題があちらこちらに出現した。
土地を分けるときの問題だ。例えば、御一新に地租改正、さあ大名屋敷跡を1番地と付けてみた。ところが、時代が下るに連れて少しずつ分譲されたので、さらに細かい仕分け番号が必要に。1-1、1-2、と枝番がつくパターンだ。ただし、すべての番地が一気に区切られるわけではないから、問題発生。1番地の持ち主が、東の端を売って1-2とし、今度は西の端を売って1-3とし、と次々に土地を切り売りしていくと、枝の地番は隣り合わない。こうして、住所だけ書かれたメモを見てもその住所には簡単にたどり着くことができない事態が発生する。かくして住所は大層複雑になり、後の世のほど不便を感じるようになったというわけだ。
夏目漱石の『三四郎』に出てくる広田先生の住まいは「西片町十番地への3号」。主人公の三四郎が「いいか、九時迄だぜ。への3号だよ。失敬」と友人に集合場所を念押しされるシーンがある。これは、西片町10番地が元福山藩阿部氏の中屋敷だったためとても広く、どこまで行っても10番地であるがために、枝の地番を念押ししているからなのだとか。もっとも、現在は「丁目」という区分けが導入されているので、小説といえど設定上は「文京区本郷西片1丁目、2丁目」といった辺りになるようだ。
ちなみに、今“現在は”と述べたが、これは東京都の場合である。東京都では、1963年に「住居表示の実施に関する一般的基準」というものを規定しており、以下のような基準で住所が改正されている。[1、街区符号は数字を用いて順序よくつけること 2、起点は都心または市町村の中心にすること 3、右回り連続蛇行式につけること]
東京以外の他府県でも、さすがに明治のものをそのまま使っている地域はなく、似たような内容で住所表示を改めている。おかげで、市町村合併を機に古くからの地名が消えてしまい、郷土史研究者などからは反発の声が上がっている。
さて、話を冒頭に戻して、京都の「上る」という表記だが、「上(あが)る」は北へ、「下(さが)る」が南へという意味だとのこと。京都の街は、碁盤の目のようにできているので、東西と南北の「通り名」を組み合わせるという独自の表記スタイルなのだ。では、もう一方の大阪の住所の由来はどうなっているのだろうか? こちらは、昭和63年の大阪市東区と大阪市南区との合併の際に、「東区渡辺町」の渡辺を無理やり残したからとのこと。なんと、ここが全国の渡辺姓のルーツで、町名存続の市民運動が起こったからなのだとか。なんとも驚きだ。
住所に眠る深い歴史。仕事中お得意先に向かうときや、旅行先で、ぜひ住所表示で手軽に歴史推理をお楽しみあれ。
文=奥みんす