「病院で死ぬ」ということは不幸なことなのか? 病院だからこそできる終末期の医療
公開日:2017/7/28
諺に「来年の事を言えば鬼が笑う」というのがあるが、2020年の東京オリンピックを迎えた後にやってくる「2025年問題」は、呑気に構えていられない喫緊の課題だ。約800万人いるとされる1947年~49年生まれの団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)となり、社会保障の費用の急増による財政バランスの崩壊が懸念されるとともに、現在でも慢性的な人材不足を解決できないまま医療施設はもちろん介護施設も足りなくなる事態が予測されている。そうなると、家族が介護をするために離職を余儀なくされ貧困に陥るケースも考えられる。『ラストディナー高齢者医療の現場から』(老寿サナトリウム/幻冬舎)には、在宅での介護も介護施設への入所も難しい場合の第三の選択となる「療養病床」を持つ病院で、人生の最期を迎えた患者と家族の“8編のストーリー”が紹介されている。
本書の舞台となっている病院の特徴は、タイトルからも想起される食事へのこだわりだ。胃に直接栄養を入れる方法の一つ「胃ろう」を造設すると、認知症が進んでしまうという。食べることへの興味を失うばかりでなく、人と一緒に食べるコミュニケーションが減ることが原因のようである。そのためこの病院では、胃ろうの患者さんにも顎や頬の筋肉を動かすトレーニングを行ない、果汁やコーヒーなどを含ませて凍らせておいた綿棒を唇や舌に当てて五感を刺激し「食べたい」という意欲を呼び覚ますようにしている。「うどんパーティー」といった特別なイベントのさいには、麺と具材をミキサーにかけて、麺は麺の形に、具材は具材の形に再形成して見た目にも普段食べるうどんを再現してみせるこだわりよう。他の病院で「もう食べられない」と宣告された患者さんが好物の「お好み焼き」を食べられるようになった事例や、鼻から栄養を取る寝たきりの患者さんが食事をとれるようになることで、トイレでの排泄までも可能になった事例が紹介されており、食事が人間らしく生きるのに必要なことなのだと改めて思わされた。
ところで、療養病床とは手術や高度医療機器を使用した積極的な治療は行なわずに、投薬や検査など一般的なリハビリを行なう長期療養機能を持つ病院のことだそうだ。急性期病院では国が定める診療報酬の関係で90日以内の退院を求められ、その後に国が認める回復機能を持つ病床へ移ったとしても、そこは介護施設へ入所したり在宅に向けて準備を行なったりするための場所で、最長でも入院は180日まで。しかし、患者さんの身体機能が一人では生活できないほどだと、受け入れてもらえる施設は高額な費用を必要とすることが多いという。さりとて、リーズナブルな料金で面倒を見てくれる特別養護老人ホームとなると空きが少なく、50万人以上が順番待ちの状況なのだとか。
そして本書に記載されている内閣府の調査によると、55歳以上の人を対象にした「最期のときを迎える理想の場所」について半数以上の人が自宅を希望しているのに対して、実際には約8割の人が病院で亡くなっているそうだ。ただし、それは在宅介護をしていても容態が急変すれば救急車を呼ぶことになり、介護施設で対応しきれなければ病院へ移送するからという事情がある。
だからこそ、救急車を待たずに治療に入れる療養病床が第三の選択となるというわけだ。また、本書では介護する家族の休息のための短期入院を提案している。介護者が一時的にでもリフレッシュすることで、介護疲れによって起こりがちな患者さんとの軋轢も緩和されることが期待される。
残された時間を患者さんが精一杯生き、最期を看取った家族が再出発するためのケアまで含めて、医療の専門家が常に見守ってくれている環境だからこそできるサポートがあるのなら、病院で亡くなるのは決して悪いことではないのかもしれない。
文=清水銀嶺