「生産性を上げる」ではなく「生産性を下げる仕事をやめる」
更新日:2017/8/1
ある人材育成支援会社が、若手正社員を対象に労働時間の実態を調査したところ、働き方の自由度が高く、時間ではなく成果で評価される人であっても、実際には長時間働かなければ成果を上げられないという実態が浮き彫りになったという新聞記事がありました。
調査結果によると、1カ月の平均労働時間が200時間を超えたのは、女性の18.5%に対して男性では42.4%と、男性の長時間労働が目立ち、その人たちの7割は、労働時間を「もっと短い方が望ましい」と考えながら、実際には長時間労働に縛られているということです。
その理由は「仕事量が多い」が72.2%、「突発的な予定や、相手の都合に左右される」が55.7%、「締切や納期にゆとりがない」が43.5%などとなっており、特に仕事量を適切に管理して削減しなければ、労働時間削減にはつながらないとされています。
最近導入に向けた議論が進む「時間でなく成果に応じて賃金を支払う労働制」である「高度プロフェッショナル制度」は、うまく活用すれば長時間労働の是正につながると言っていますが、この調査結果によれば、労働時間を短くすることはできないということになります。
私も最近の働く現場を見ていて、残業削減に関しての取り組みを強めている会社が非常に多くなっていると感じます。ただ、そこで行われていることは、「残業を減らせ」「早く帰れ」という会社や上司からの働きかけが強まっただけで、仕事量を調整したり削減したりということは、ほとんど行われていません。
このあたりのことを現場の上司たちに聞くと、それなりに理解はしているものの、「求められる成果が変わらないので、簡単に仕事量は減らせない」という話がよく出てきます。会社からは「成果を上げて時間は減らす」の二兎を追えと言われ、何かそれを支援するインフラなどを、会社が用意してくれるわけでもありません。
そもそも「無駄な残業」という話は昔からありますが、これを経営者など組織で上位の人たちに聞くと、だいたいが「もっと効率よくやれば時間が減らせる」と言い、「無駄な時間に給料を払いたくない」と言います。ここで仕事量のことを聞くと、「少ないとは言わないが、もっと効率的にできるはずだ」と言われることが多いです。
ただ、今回の調査結果や現場の声では、実際に長時間労働をしている人の多くは「仕事量が多すぎる」と言っています。これでは議論がかみ合わないはずです。
私はどちらの言い分もうなずける点はあり、仮に作業環境が変わらなくても、効率化できる余地はもちろんありますが、その一方現場の人たちがそんなにサボっているとは思っていません。特に長時間労働の人が、「もっと労働時間を減らしたい」と思いながらも減らせないというのは、やはりそれなりにやるべき仕事があるということです。
ここで一番の問題は、その仕事の中に「無駄とまでは言わないが、やらなくてもそれほど影響がないもの」が含まれていることです。そしてそういう仕事の大半は、会社と上司が作り出しています。
部下からすれば、会社や上司からの指示に、「忙しい」「できない」もしくは「無駄」などといって拒否することは難しいでしょうし、会社や上司からすれば、個々の社員の仕事量を、会社の全体最適で見ることは難しく、自分が見える範囲で仕事が回っていれば、その中身はくわしく見ないことがほとんどでしょう。
こんな中で「生産性向上」「生産性を上げる」と言い出すと、何か新しい工夫をして、新しいことを始めなければならない感じがしてしまいますが、すでに忙しくて目いっぱいと思っている人たちに、新しいことを求めても、たぶん躊躇の方が大きいです。
これは結局同じことですが、「生産性を上げる」と言うよりは、「生産性を下げている仕事をやめる」と言った方が、私は取り組みがしやすいと思っています。
「やらなくてもそれほど影響がないもの」という前提で、会議を減らす、書類を減らす、報告を減らす、電話を減らす、メールを減らす、重複作業を減らす、ということを積み重ねると、状況はかなり変わってくるはずです。
日本の労働者の生産性が低いと言われますが、それは個人の要領の悪さだけでなく、会社や上司が「やらなくてもそれほど影響がない仕事」をやらせ過ぎているからです。
今のような残業規制の話だけでなく、そんな業務量の問題を解決しなければ、日本の「働き方改革」は進まなくなってしまうと思います。
文=citrus ユニティ・サポート 小笠原隆夫