日本の昔話に「結婚してハッピーエンド」が少ないのはなぜ? 昔話から探る日本人の「心」

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『定本 昔話と日本人の心』(河合隼雄:著、河合俊雄:編/岩波書店)

 海外の昔話の定型には、「男性が困難を乗り越え、女性と結婚する」というハッピーエンドが多い。一方で日本の昔話は、それが限りなく少ない。「浦島太郎」「かぐやひめ」などは、男女が出会っても結婚はせず、終わり方もハッピーエンドとは言い難い。また、「鶴の恩返し」の場合は、結婚から物語が始まるが、別れをもって閉幕となる。

 この違いは一体、何なのだろうか?「文化の違い」と言ってしまえば、それまでだが、その文化が生まれた理由に、「心の在り方の違い」があるのではないかと考えることができる。『定本 昔話と日本人の心』(河合隼雄:著、河合俊雄:編/岩波書店)は、「深層心理学の立場に立って」「日本の昔話と海外の昔話を比較検証してみることで」「日本人の心の在り方を見出そうとする」学術書である。

 本書の内容とズレが生まれてしまう可能性もあるのだが、記事にするにあたり、敢えて簡略に結論を述べてしまうと、「昔話」からは「自我の確立の過程」がうかがえるのだ。そして、西洋の昔話では「結婚」が「自我の確立」において重要な行動であり、日本においては、「西洋近代的な自我」がないので、「結婚」が重要視されないのである。

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二つのお話を比べてみよう。

日本の「鶴女房」と西洋のグリム童話「からす」というお話がある。

前者は「鶴の恩返し」と限りなく近い話だ。鶴を助けた男性のもとに、女性に化けた鶴が現れ、夫婦になる(=結婚する)が、正体が露見して消え去る(=離婚する)。

これと正反対の構成になっているのが、「からす」である。

「からす」は王女が母親の呪いで「からす」にされてしまう。そのことを男性に告げ、救済を求める。男の行動により、からすは王女へと戻り、二人は結婚する……というもの。

この二つの物語の要点を比較すると、

鶴女房:動物が人間になる/鶴から男性に会いに行く/鶴は本性を隠している/「転」は男性の「妨害」がある(約束を破り、見てはいけないという部屋をのぞいてしまう)/女の本性が露見し、離婚する。

からす:人間が動物になる/男性が女性(からす)に出会う/からすは本性を明かして、男性に救済を求める/「転」は男性の「活躍」が描かれる/男性の仕事の成就により、結婚する。

 この「作り」の違いを、「深層心理学」の考え方から検証してみた場合、以下のようになる。

 その前に、本書の大前提を三つ。

・西洋の昔話は「男性目線」で分析し、日本の昔話は「女性」を主軸としている。これは本書の方法論なので、昔話自体にそういった特徴があるわけではない。

・しかし、この「男性」と「女性」は、生物学的な区別ではなく、「男性性」「女性性」と表すことができる。つまり、「意識」の問題であり、男性でも「女性性」を持つことは可能。

・「自然」の考え方については、「人間は自然の一部でありながら、自然に反する傾向を持っている」とする。

○西洋

男A(自我が確立されていない/意識と無意識が区別されていない/自然)は、「仕事」を行い、困難を乗り越える(心理学的にいうと、≪母親殺し≫≪父親殺し≫という行動)ことにより、自我を得る(無意識から意識を得る)=男Bになる。

しかし、この男Bは「自然」と切断された状態であり、人は「自然」と関わりなく生きてはいけないので、自我を手に入れた後、女性(無意識/自然)と「結婚する」ことで再統合を図る。自我のある人として、自然と統合する=男Cになる。男Cは男A、Bよりも高次元の存在である。

○日本

前提:「動物が人間になる」のは、自然と人間を一体と考えている表れ。

女A(自我が確立されていない/意識と無意識が区別されていない/自然)は、男性と出会うことで「自然から離れようとする」=自我が芽生え始める。

 だが、自我が生じることによって、「自分も自然の一部だと知る。知れば知るほど自然との切り離しが起こる(切断する役目が、約束を破る男)。本来「自然」のものである女Aは自然と切り離されたら生きていけないので、それに抵抗できず、消え去って行く(=自然に還る)。

 以上、説明を省いて、ほぼ結論だけをまとめてしまったので、「どういうこと?」と思う部分も多々あると思われる。そういった方は、ぜひ本書で詳細を読み込んでほしい。

 ちなみに、日本において「自我の確立がない」ことを、著者は「劣っている」「近代的ではない」と結論づけているわけではなく、むしろ「多重の自我」があるのではないかと論説を展開させている。「多重の自我」という考え方は、西洋近代的な自我の限界を迎えつつある昨今、世界中の人々にとって意味があるのではないかとも考えているようだ。

 暑い夏、いつもの「分かりやすい本」だけではなく、やや思考力が試されるような本を読んでみるのもいかがだろうか?

文=雨野裾