不器用に生きる愚者たちにこそ、人間のまっとうな姿を見る――伊集院静著 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(伊集院静/集英社文庫)

『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』(集英社文庫)は、直木賞作家・伊集院静の自伝的長編小説。物語の語り手であるユウジは、2年前に女優である妻を癌で亡くして以来、仕事を辞めてギャンブルと酒にのめり込む日々を送っていた。奈良から始まり、梅田、函館、十三、小倉、玉野、新宿、立川、福島――ユウジの彷徨は続く。人とうまく折り合うことができない傾向は、妻の死後にさらに極まり、人を人とも思わないようになっていた。そして、そんな自分をつくづくつまらない人間だと感じていた。

そんなユウジがなぜか心を許すことができ、一緒にいると奇妙な安堵を覚える相手が、競輪担当のスポーツ新聞記者のエイジだった。「人間、みっともない姿を他人に晒すぐらいやったら、死んだ方がましやろう。ちゃうか」と口癖のようにいうエイジは、不器用だが確固たる矜持を持っていて、ユウジはそこに自分に似たような生き方を感じる。

フリーランスの文芸編集者・木暮は、ユウジに小説を書くように執拗に迫る。大きな体躯をしていて、相手を圧する凄みのようなものがあって容易に人を寄せないつけない雰囲気を漂わせている木暮だが、ユウジはどれだけ強気な言葉を聞いても、なぜか憎めないものを感じさせられていた。

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芸能マネジメントの仕事をしている三村は、ユウジが芸能界で仕事をしていたときに知り合い、以来「俺はユウさんのことを忘れたことは一日だってないっすよ」というほどユウジのことを慕っている。ユウジに憧れ、その生き方を模倣しているようなところもあった。仕事のことでも甘えを見せてくる三村に思わずユウジは怒りを覚えるのだが、かつて誰彼となくぶつかり合って相手を傷つけた結果、周りに誰もいなくなっても、最後までユウジの隣にいたのは、死んだ妻と三村だけだった。三村との再会で、ユウジは亡き妻と過ごした日々に思いを馳せる。

本作ではこの3人と過ごしてきた濃密な時間が描かれていく。彼らは「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々」であり、「どうしようもない愚者なのだ」とユウジは思う。同時にそんな愚者たちにいとおしさすら感じる。社会に疎外された彼らがふと見せる強靭さと哀切にまっとうな人間の姿を見てしまう。やがて彼らはユウジの前から姿を消していくのだが、共に過ごしてきた時間の中に男同士の友情と優しさ、かけがえのないぬくもりがあったことをユウジは見出していく。ユウジもまた彼らと同じ愚者だったのだ。

その後、ユウジは作家として身を立てていくことになる。いとおしい愚者たちはすでにいないが、ユウジの胸には彼らと過ごした時間は残り続けている。かつて、エイジからの「何をいつまでも格好つけてんねん」「他人に笑われてなんぼのもんと違うんかい!」という言葉を拒絶したユウジ。その言葉を受け入れることで、人間として再生した姿、生き残った者としての責任を愚者たちに示そうとするユウジの姿に思わず胸が熱くなる。

文=橋富政彦

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