せっかく整形を繰り返してきたのに…「鈴木宗男事件」で社会的に殺されかけた…死の淵から生還した2人が「死」語る!
公開日:2017/9/21
原因不明の病で心肺停止に陥った中村うさぎと、「鈴木宗男事件」で社会的に殺されかけた佐藤優。異色の2人が様々な視点で「生と死」について語った『死を語る(PHP文庫)』(佐藤 優・さとう まさる、中村うさぎ/PHP研究所)は、同志社大学の先輩・後輩であり、キリスト教に影響を受けたという2人ならではの対談集。『死を笑う』を改題し、加筆修正したもので、死をテーマに、政治、事件、芸能なども読み解いている。
対談のきっかけとなったのは、2人に共通する「臨死体験」である。鈴木宗男事件に連座したとき、一度社会的に葬り去られたという佐藤氏は「この社会的な臨死体験を通じて、失ったものよりも、得たものの方がずっと大きかった」と語る。中村氏は、原因不明の心肺停止となったとき、それまでの、すべての苦痛から解放され、スイッチを切ったように真っ暗になったと語る。佐藤氏は「臨死体験というのは文化圏によって違うが、人間は深刻な危機に直面すると記憶の変容が起こり、実体験や知識や願望にもとづいてデフォルメされた映像がつくられる。うさぎさんの真っ黒いキャンバスは、いろいろリセットしたかったのでは」と述べる。
キリスト教徒として生きてきた佐藤氏は、「死ぬこと」について「子どもから大人に変わるような、フェーズが変わるという程度の感覚」と述べる。一方で、中村氏は「永遠の命って、ものすごい罰だと思う。死は救済、神の恩寵だと思う。死なないってことは恐ろしいし生きるってことは苦しい」と語る。
せっかく整形を繰り返してきたのに、病気の治療のため顔がむくんでいると不満を述べる中村氏に、「美の欠如は女性の死を意味するということ?」と問う佐藤氏。「そのとおり! ある意味いまだに臨死体験をしているんですよ」と、おなじみのうさぎ節も飛び出す。
中村氏が、ライトノベルの世界について、「ファンタジーだから、死んだとしてもいくらでも生き返る。死の存在がものすごく軽い」と述べれば、佐藤氏は、「将棋は死んだ駒も再び使えるが、チェスは死んだら終わり。西洋はキリスト教の社会なので1回限りの人生しかないが、仏教圏では輪廻転生があるので死んでも生まれ変わる」とゲームに表れる死生観を語る。
他にもサイコパスや佐世保の女子高生、「社会的死を遂げたASKA」へと、2人の話は広がる。中村氏が「結婚もある意味、死」と述べれば「いろいろ束縛されて自由や習慣が死にますからね」と佐藤氏。
天国は何のためにあるのか? 天使と天狗は同じものだ、沖縄の6つの魂など、死と宗教を得意分野とする、独特なパーソナリティーの2人ならではの対談は、生と死にまつわる世界を幅広く見せてくれる。
文=泉ゆりこ