国文学者・岩坪健先生が読み解く、角田光代訳『源氏物語』のまったく新しい魅力!

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『日本文学全集04 源氏物語 上』(角田光代:訳/河出書房新社)

 『対岸の彼女』『八日目の蝉』などこれまで数々のベストセラーを送りだしてきた直木賞作家・角田光代さん。その最新作『日本文学全集04 源氏物語 上』(角田光代:訳/河出書房新社)は、日本の古典を代表する『源氏物語』の現代語訳です。これまでにない読みやすさでツイッター上でも話題沸騰の“角田版『源氏』”とは、いったいどんな作品なのか? 従来の現代語訳とはどこが違うのか? 同志社大学文学部教授で『源氏物語』の注釈書などを研究対象にされている、岩坪健先生に教えていただきました。

――まず、角田版『源氏物語』を読まれてのご感想は?

岩坪健(以下、岩坪) 角田光代さんが現代語訳された『源氏物語』には、大きく3つの特徴があると思います。ひとつめは文章の順番を変えている箇所があること。代表的なのは「桐壺」の冒頭ですね。原文でいうと「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり」という部分です。

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――有名な書き出しですね。古文の授業で習いました。

岩坪 これまでの現代語訳ではここを原文の順番どおり、「いづれの御時にか」に続けて「女御、更衣あまた候ひ給ひける中に」を訳していくのが常識でした。ところが角田さんの訳では「いずれの御時にか」に続けて「その昔、帝に深く愛されている女がいた。」という文が出てきて、「女御、更衣~」にあたる文章はもっと後になっているんですよ。

――そこにはどんな意図があるんでしょうか。

岩坪 憶測ですが、角田さんは内容を把握されたうえで、直訳するのではなく、現代語で“表現”されることを選んだのではないでしょうか。

――直訳ではなく表現ですか。特徴の2点目は。

岩坪 ご本人も『ダ・ヴィンチ』10月号のインタビューでおっしゃっていますが、地の文に敬語を使わなかったことです。これは大変な発明ですね。これまでの現代語訳で誰しも苦労するポイントは敬語だったんです。たとえば原文には「きこえたまふ」という言い方がよく出てきます。これを現代語に直訳すると「申し上げなされる」。これだとやや分かりにくいですよね。

――たしかに分かりにくいですね(笑)。

岩坪 これまでの現代語訳では、これをどう分かりやすい表現に直していくかで工夫を凝らしてきたのですが、敬語そのものを取り払ってしまうという発想はなかった。これはお若い方ならではの大胆さだと思います。研究者や古文の先生には出てこない発想でしょうね。その分、敬語に慣れていない読者にも入りこみやすい作品になっていると思います。

――では3点目は?

岩坪 2点目とは逆に、角田さんが原文に追加している部分があるんです。たとえば角田版『源氏』の11ページには、「いっそこのまま、ここですべてを見届けたいと帝は思うが、宮中に死は禁忌である」という文章がありますね。原文を見ると「宮中に死は禁忌である。」にあたる部分がないんですよ。宮中で死者を出してはいけないというのは平安時代の常識で、わざわざ断る必要がないからです。でも現代人にこの感覚は伝わりにくい。角田さんはそういう部分には文章を補うようにしています。読みやすさにかなり配慮された訳だなという印象を受けました。

――それがすらすら読める訳文の秘密なんですね。ところで『源氏物語』の現代語訳は角田さん以前にも多くの作家によってなされていますね。

岩坪 最初に現代語訳したのは歌人として有名な与謝野晶子です。1回目の訳が明治時代の末頃。ただこの訳は抜けている箇所があったりして、全訳とはいえないところがありますね。今日、文庫本などで流布しているのは、昭和に入ってから刊行された3回目の訳です。

――文豪・谷崎潤一郎の訳も有名ですよね。

岩坪 谷崎潤一郎も生涯で3度訳しています。谷崎訳はやや古風な日本語で、丁寧に訳しているのが特徴。その後も円地文子さんなど錚々たる方が手がけておられて、近年では瀬戸内寂聴さんの訳もベストセラーになりましたね。現時点で一番新しい現代語訳は、中野幸一さんという早稲田大学名誉教授の『正訳・源氏物語』。こちらは原文に忠実に訳されていて、高校の授業にも使えるような内容です。

――それぞれの訳に個性があるんですね。先生のご専門は『源氏物語』の「注釈書」や「梗概」だそうですね。

岩坪 注釈書を読むことで、その時代に『源氏物語』がどう解釈されていたかが分かるんです。『源氏物語』の注釈書は平安末期から作られていますが、鎌倉・室町・江戸と時代とともに解釈も移り変わっていくんですよ。梗概というのはあらすじを記したダイジェスト版です。室町時代に『源氏物語』を題材にした連歌(複数人で交互に詠んでゆく形式の歌)が流行します。ところが当時、『源氏物語』全54帖を所持できるのは、朝廷や幕府などの相当な有力者だけでした。それで『源氏物語』を入手したり、写したりできない人たちのために、ダイジェスト版が普及したんです。

――現代でもよくある「あらすじで読む名作文学」という感じですね。

岩坪 そうです。それを読んでみると『源氏物語』にはいないはずの登場人物が出てきたり、新しい場面が書き加えられていたりするんですよ。室町時代の読者は気づかずに「これが有名な『源氏物語』か」と思っていたんでしょうね(笑)。そうした連歌を正しく解釈するためには、『源氏物語』だけでなく梗概まで知っておくことが必要なんですね。

――作者・紫式部の意図を超えたところで、読み方が広がり続けているんですね。

岩坪 読む人によって新しい解釈が生まれるのが古典というもの。外山滋比古さんが『古典論』という本でお書きになっていますが、Aさんが読んだらAという異本が、Bさんが読んだらBという異本が生まれるものなんです。『源氏物語』はいまだに研究論文が年間100本くらい出ます。よく書くことがあるなと同業者ながら感心しますが(笑)、それだけ人によって異なる読み方ができるということ。それは優れた作品である証拠だと思います。

――9月に出た『上』巻では「桐壺」から「少女」まで21帖が訳されています。ずばりこの巻の読みどころは?

岩坪 なにを読みどころとするかで答えは変わってきますが、現代人には「須磨」から「明石」にかけての展開が興味深いかもしれません。そこには大嵐に遭遇して、光源氏が避難するという全54帖でも珍しい場面が描かれています。大自然の脅威を描いたドラマチックなシーンなので、恋愛ものがあまり得意でない方にも楽しめると思います。

――では最後に角田光代さんにエールをお願いします。

岩坪 『源氏物語』には一種の魔力みたいなものがあるようです。わたしのゼミ生はほとんど『源氏物語』で卒論を書くんですが、ある女子学生は「夜中に紫式部の声が聞こえた」と言っていました。また別の学生は、「紫式部が呼んでいる」と口走って、取り憑かれたように卒論を書き上げたそうです。角田さんも執筆期間中、そうした状態になるかもしれませんが、この作業を通じてしか味わえない貴重な体験なので、ぜひ取り憑かれていただいて(笑)、紫式部の声をわれわれ読者に届けていただけたらと思っています。完結を楽しみにしております。

取材・文=朝宮運河