挨拶の習慣すら無かった国鉄時代からの脱却―JR九州の鉄道マンたちが取り組んだ本気の物語

ビジネス

公開日:2017/10/6

『新鉄客商売 本気になって何が悪い』(唐池恒二/PHP研究所)

 日本国有鉄道が分割民営化される前の1985年11月29日に、「国電同時多発ゲリラ事件」が起きた。33ヶ所もの線路の通信・信号用ケーブルを切断し、浅草橋駅を焼き討ちした犯行グループは新左翼系の中核派であったが、現役の国鉄職員や区議会議員まで加わっていた。分割民営化に反対して引き起こされたはずのこの事件は、しかし逆に国民世論を分割民営化支持へと傾かせた。

 そんな混乱を経て鉄道事業を引き継いだJRグループのうちJR九州の四代目社長(現代表取締役会長)が著したのが、この『新鉄客商売 本気になって何が悪い』
(唐池恒二/PHP研究所)である。本州以外の北海道・四国・九州は多額の赤字を抱えていたため当初から経営が不安視されており、誰が云ったか「三島(さんとう)会社」と呼ばれていたという。この言葉に、著者を含む幹部や幹部候補の面々は中央官庁の地方を見下した傲慢さを感じ、心から憤慨していたそうだ。

 ただし、国鉄時代の九州を統括していた鉄道管理局は北九州市にあり、乗客数は圧倒的に福岡市を中心とするエリアが多かったにもかかわらず、「国鉄で働く自分たちが便利なように列車を設定」したために、北九州に偏重した列車体系になっていたというのには呆れてしまう。

advertisement

 そしてJR九州の初代社長の石井幸孝氏から社員の意識改革のためにと、流通業の丸井での研修を命じられた著者は「廊下で会う人には必ず互いに挨拶を交わしている」ことにカルチャーショックを受ける。著者によれば、国鉄という組織では「絶対にありえない」ことで、顔も見ずに無言で通り過ぎるのが当たり前だったとか。言われてみれば、JR東日本が発足したばかりの頃、改札口で駅員が「おはようございます」「ご利用ありがとうございます」と笑顔で挨拶するのを奇異に感じた記憶がある。今では自動改札の普及により駅員に挨拶される機会は無くなってしまったけれど、あれは画期的なことだったのだ。

 企業が本業以外の分野に進出してみても、「餅は餅屋」の言葉があるように失敗する事例は数多い。ところが著者は船舶事業や外食事業を手がけ農業にまで参入して成功に導き、今やJR九州の鉄道事業以外の売上は全体の60%を占めている。それもこれも「“本気で”鉄道以外の事業に取り組まないと会社がつぶれてしまう」という危機感を全社員が持っていたからできたと著者は云う。なにより“本気度”を示すのは人事が分かりやすいそうで、それこそ著者自身も、JR九州が発足してからの30年間のうち直接鉄道の仕事に携わったのはわずか4年。本社に残しておきたい人材がいても、「未知の分野にエースを惜しみなく投入する」のがJR九州の人事哲学だと言い切る。

 本書には、あの豪華寝台列車「ななつ星in九州」のデザインを手がけた水戸岡鋭治氏との対談があり、そこにもまた著者が様々な人と出逢い吸収していった経営哲学が語られている。例えば会議などは「持ち帰ったものは、どうせ決まらない」からとその場で次々と決めていき、社内文書は明朝体では「文字から気魄が感じられないからダメ」だとゴシック体に変更するように指示をしたという。

 どのページをめくっても“本気”が伝わってくる熱い内容で、九州内の主な駅の改修に取りかかったさいには、水戸岡氏から「昔の人がすでにちゃんとデザインしてくれている」との助言を受け、予算の都合で本格改修が施されなかった駅も整理・整頓・清掃という当たり前のことを徹底することで見違える姿に生まれ変わったそうだ。

 しかし著者は、執筆にあたりユーモアも忘れていない。外食事業のJR九州フードサービスの社長に就任したくだりでは、「社長の椅子に座った。座ったがすぐに立ち上がった」なんて入れてくる。客商売は、お客を笑顔にすることが重要なのだ。

文=清水銀嶺